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二課は捜査会議から締め出された?

昭和24年8月1日午後2時から警視総監別室で特別捜査本部会議が開かれ、捜査員の意見が交わされました(『下山事件全研究』p183、『真実を追う』p252、『生体れき断』p235)。この会議について、元朝日新聞社会部記者矢田喜美雄氏は「打ち合わせはまず各刑事から自殺、他殺のいずれかを選ぶかをきいた。会議には捜査本部といっても捜査一課の刑事たちしかいなかった。捜査二課は他殺の線を追っているので除外されたというわけだ」と述べています(『謀殺 下山事件(新風舎文庫)』p126)。他殺を主張して譲らなかったがゆえに捜査二課が警視庁内部で孤立し冷遇されていた、とも読めます。

しかしながら、実際のところは一課の刑事だけでなく、捜査二課二係長吉武氏もちゃんと出席していました。吉武氏の「私のほうは初めから他殺情報を捜査している。組合関係、共産党関係、朝鮮人関係、資金関係、女関係等をやったが、いずれも風評程度でなにも出ない」という発言記録も残っています(『下山事件全研究』p185-186、『真実を追う』p256)。矢田氏の主張には、この捜査会議の例に限らず、かなりの数の事実誤認があります。しかもそれぞれが一様に氏の説に有利な方向に間違っているのを見ると、それは誤認ではなく意図的にやっているのではないかと思われても仕方ないのではないかという気がします。

上記の8月1日の会議に限らず、捜査二課が会議から除外されたという事実は当サイト管理人の知る限りありません。7月7日の合同会議には吉武氏が、7月21日の警視庁と検察庁による会議には捜査二課長の松本氏が出席しています(『下山事件全研究』p20、147、『真実を追う』p251、『生体れき断』p46、234)。毎日新聞の記事で大きく報道された、8月3日の刑事部長公舎での合同会議にも松本、吉武両氏が出席者に含まれています(『下山事件全研究』p186、『真実を追う』p50、257、『生体れき断』p235、昭和24年8月4日付毎日新聞および読売新聞)。ちなみに、この8月3日の合同捜査会議については、昭和24年8月4日付の読売新聞や『「毎日」の3世紀―新聞が見つめた激流130年』の81ページには出席した警察関係者の写真があり、吉武氏の姿を見ることができます。

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