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小宮喬介博士の暗躍?

他殺説の文献では、元名古屋大教授の小宮喬介氏は警察などと癒着があり、御用学者として他殺説を封じるために暗躍したのではないかと指摘されています(『下山事件 最後の証言(増補完全版)』p182、『謀殺 下山事件(新風舎文庫版)』p115-121、287、『葬られた夏(文庫版)』p157-158、“謀略と謎 「下山事件」 矢田喜美雄” in 『昭和史探訪6 戦後三〇年』p52-53)。確かに小宮氏ほどの法医学者が東大の死後轢断鑑定に対する疑問を言明すれば、自殺で「強引に幕引き」しようとしたとされている警視庁にとってはこれほど心強いことはありません。この他殺説による「説明」が妥当なものなのか、少し詳しく見てみたいと思います。

まず、名古屋大学教授という権威ある地位にあった小宮氏のような人物が警察関係者に顔が広いのは、法医学という学問の性質からいって至極当然といえます。警視庁が小宮氏の意見を聞いていたことに関して『下山事件全研究』の著者、佐藤一氏は、「もちろん、小宮氏が捜査本部を訪問し、捜査本部も小宮氏の意見を聞いたことについては、双方になんの問題もないだろう。なにしろ、政府さえ多額の懸賞金を用意して、事件解決の情報をもとめようとしていたときだし、捜査本部も、東大のすっきりしない判定に困惑していた状態だったのだから、経験ある法医学者の意見を聞くのは当然で、むしろ聞かないほうがどうかしているくらいである」と述べています(p574)。ですから、ただ単に小宮氏と警視庁の「繋がり」を指摘するだけではそこには何も特別な意味は見出せません。

特に一部の他殺説の文献では、小宮博士と刑事部長の坂本智元氏(警視庁配属以前は愛知県警)の繋がりを強調しています(『葬られた夏(文庫版)』p157-158、“謀略と謎 「下山事件」 矢田喜美雄” in 『昭和史探訪6 戦後三〇年』p52-53)。もしこの人脈が他殺説の主張にあるように、「捜査の強引な幕引き」という謀略を伴ったものであれば、当事者の小宮博士は極力公にはしないものと考えるのが自然です。しかしながら、実際のところは小宮氏自身、同僚に愛知県警時代の坂本氏との関係を隠し立てすることなく話していますし(これについては今後このサイトで具体的に取り上げます)、昭和24年7月26日付の中部日本新聞では、談話形式の記事で「私は個人としては下山総裁を英雄として死なせたいが科学者としてみる場合は自殺説をとる。このことは警視庁坂本刑事部長にも意見書をだしてきたから今後捜査もその方面の証拠固めに進むものと思う」と坂本氏の個人名を出して述べているのです。新聞という公器で隠しておきたい人間関係を披歴する人が果たしているでしょうか?

警視庁の招聘で小宮氏が上京したとか(『下山事件 最後の証言(増補完全版)』 p181、『謀殺 下山事件(新風舎文庫版)』p115)、7月中ごろから8月まで長期間東京で「覆面の法医学者」として暗躍した(『謀殺 下山事件(新風舎文庫版)』p115、287)という情報もありますが、これについても佐藤一氏は小宮氏が7月20日頃上京し、21日深夜警視庁の金原係長と、翌22日の午前10時から午後2時まで、坂本刑事部長、堀崎一課長、塚本鑑識課長と会っていることは確認できたものの、東京に長期間滞在していたという証拠は見つけられませんでした。小宮氏が東京に50日以上滞在し暗躍したはずだと矢田氏が考えた理由について佐藤氏は、7月半ばに上京し、また8月30日の法務委員会のとき東京にいたのだから、その間はぜんぶ東京滞在のはずだと決めてかかっただけなのではないか、と推測しています(『下山事件全研究』p574)。この佐藤氏の推測を裏付けるように、上述の中部日本新聞の記事には小宮博士は7月25日に東京から名古屋に帰っていることが明記されており、矢田氏の自信たっぷりの主張がいかにいい加減なものかを証明しています。

小宮氏は警視庁だけではなくマスコミとの関係においても疑問視されています。『生体れき断』の著者、平正一氏は毎日新聞名古屋支社に勤務していた頃に小宮氏と知り合っていますが、矢田喜美雄氏は小宮氏と自殺説報道を展開した毎日新聞とのつながりにも何か裏があると考えていたようです。矢田氏は「毎日新聞は七月も中ごろ、小宮博士から総裁の自殺論のカギを聞いたわけだが、どうしたことか小宮博士談という記事は紙面に一行ものせてはいなかった。ふしぎなことだ」と述べていますが(『謀殺 下山事件(新風舎文庫版)』p118)、言いたいことはつまり、「毎日新聞は小宮氏との密接な関係を隠しておきたかったのではないか」ということになろうかと思います。しかしながら、矢田氏の著作を読めば分かるように、そもそも小宮氏が毎日新聞社に訪れたことを示す情報ソースが、平正一氏の著書『生体れき断』ですし、怪しいと思う根拠が「毎日に談話形式の記事がないから」というのではいかにも情けない推理です。しかも実際のところは、昭和24年7月24日付、および8月3日付の毎日新聞には「自殺もあり得る 死後轢断 機関車の血は『凝血』」、「れき死と思う」という小宮氏の談話がそれぞれ掲載されており、矢田氏の飛躍した推理はそれを支える根拠さえ欠いていることが明らかです。

小宮氏の経歴や事件当時の記事を調べれば、小宮博士が自殺説に有利なように警視庁や一部マスコミとともに暗躍したという主張の大胆さと、その説を裏付けるために示された弱い根拠(らしきもの)のアンバランスさが際立ってくるだけのように思われます。「他殺に違いない」というバイアスを取り除いて、事実をつき合わせていけば「小宮氏暗躍説」の脆さは明白です。

小宮氏の談話(毎日新聞)
昭和24年7月24日付毎日新聞の小宮談話

小宮氏の談話(中部日本新聞)
昭和24年7月26日付中部日本新聞の小宮談話

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