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小説家による推理

下山事件の真相に関する推理には、松本清張氏を筆頭として小説家によるものが目立ちます。松本氏の説のように、現在一般に広く知られているのは、事件発生からある程度の年月を経てから発表されたものが多いのですが、実は小説家たちはもっと早い時期から積極的に発言をしていました。『怪人二十面相』などで有名な推理作家江戸川乱歩氏もその一人で、例えばサン写真新聞には昭和24年7月22日から他殺説に立脚した推理を6回に渡り連載しています。ここでは、各新聞に掲載された、複数の小説家による推理を当時の記事からいくつかかいつまんで紹介します。やはり他殺説が圧倒的なようです。「木々高太郎」というのは、慶応義塾大学医学部生理学教室教授の林髞氏が使っていたペンネームですが、自殺説を主張した法医学者中館久平氏と同大学同学部に所属していたことも影響してか、彼は他殺説から自殺説に転じています。

木々高太郎氏談 「下山総裁怪死事件に推理小説的な色彩をつければ」と前置きして推理小説家木々高太郎氏は六日次のように語った。◇…作家として私は計画的他殺とみる、総裁は三越で自動車を降りてからある“重要な用件”でだれかに会い、飲食したか歩き回った、総裁は彼にとって一ばん関心事の政治問題について投げられたワナにかかった、金銭問題やはじめから“脅迫”と判っているのにノメノメ出て行くはずがない、総裁対数人のグループで重大な妥協条件が話された席上、麻酔薬をかがされたか一服盛られ、そのまま現場へ自動車で運ばれレールに置かれた、死体処理に当った数名はそのまま自動車で逃亡――私のたぐる推理の糸はこうなる、総裁が“時の人”であると、家庭事情にカゲもなければ背後に女ッ気もないことなどから総裁が死んで一体“だれがトクするか”がナゾを解くカギとなろう。◇…別のカギは出血量の多少(生きたままひかれると量が多い)と胃腸内の飲食物だが血の方は夜来の雨が現場を洗い流して判別困難だろうし、飲食物は解剖の結果をまつほかない。◇…自殺とすれば発作的で整理問題から逃避するため三越から抜け出しフラフラと現場へ到着、貨物列車の響きを聞きつつ自ら冷たいレール上に横たわった―としか考えられぬ、しかし飛込み自殺は物カゲから突然踊り出して飛込むのが普通でこの場合車輪にまき込まれたり打撲傷を負うもので、はじめからレールに寝ていなければあのように寸断されず、よほど異状神経でないとできない。(昭和24年7月7日付朝日新聞)

豊島与志雄氏談 他殺が事実であれば全く唖然たらざるを得ない、ユーゴーのチトーの場合だったら一夜にしてユーゴを変貌させることが出来るだろう、だが下山氏一人を倒して日本がどう変るというのか、また首切りがそれでなくなるわけでもあるまい、彼はただ一つのポストにすぎないのだ。こうした暴力行為に起るのは日本人の封建性、なかでも権力に対する盲信、盲従が最大の原因なのだ、最近における共産党の動向も政治権力へのあがきだ、下山氏の総裁という肩書に大きな権力を感ずるから問題が起る、結局権力盲信がテロに通ずる、権力否定こそ真に民主化への早道であろう。(昭和24年7月7日付読売新聞)

江戸川乱歩氏の推理 カギは犯人が使った自動車 『下山総裁の他殺容疑深まる』との警視庁発表を探てい作家江戸川乱歩氏宅にもたらすと『私は初から他殺だろうと思っていた』と同氏は次のように語った。◇…犯人は数名で脅迫しながら下山氏を連行どこかで麻酔か殴打によって意識をうばい次で線路に投げこむという段取りと思う。三越へ入るまでの足どりが第一に疑問で、運転手も脅迫されているかもしれぬ。その点を追求する必要があろう。◇…三越へ入ったか地下鉄の方へ抜けたか等の色については下山氏の日常生活をよく調べて心理的に推察せねばならぬが、今度は下山氏の身辺関係から材料はほとんど出ないだろうから、その点捜査は困難だろう。◇…第一に犯人は確に自動車を使っているからそれを調べること、第二に現場の聞き込み、第三に運転手証言の再調査が要点だろうが、犯人が国鉄に少しでも関係ある人なら労組に迷惑をかけないために速に自首すべきだと思う。重ねていうがインテリはこんなやり方で自殺するものではない。自殺には外に方法があるはずだ。(昭和24年7月8日付サン写真新聞)

江戸川乱歩氏 結論からいえば他殺説をとる、その理由は次の三点である。(1)死体が下山氏とは全然無関係な場所から発見されたこと、(2)インテリの自殺手段として鉄道自殺ほど不適当なものはない、(3)最近の氏は疲労しているというが神経衰弱は余程強くなければ自殺はしない。また推理小説からいえば、この事件ははなはだ幼稚なもので、小説手段として下山氏の三越行が虚偽であり、自動車が三越に行く前に数人の暴力で拉致し、麻薬をかがせ鉄道線路にほうりこんだことも考えられる、犯人は単独でなく共犯と見たい、したがって捜査はかなり手広いものなり、困難も加わろう。国鉄労組は世上の非難にこたえて捜査に協力せよ、もしも行政整理問題で組合の下部組織の者がむだんで犯罪をおかしたとしたら本人は速かに自首して、組合の顔にどろをぬるべきではないと思う。

坂口安吾氏 普通の時間に家を出て登庁せずに三越へ行って開店するまでに無理な自動車散歩までして開店に間に合ったということは、誰かと会見するような何か重大な約束があったのだろうかと考えられる、その約束は国鉄労組の誰かとの会見ではなく、もっとプライベイトなものにちがいない、だから犯人はプライベイトなものかプライベイトを利用したものである、犯行はラジオで騒ぎ出されてから行われたものだろう、強雨の中をあそこまで運んだのは集団でなければ出来ない、国鉄労組の組織を通した犯行とは思わないが、それを利用して行われたものだろう、これを探偵小説の常識からいえば鉄道轢死ということは自殺と他殺を不明にするためと、犯行の跡をなくすためとの二つが考えられるが、しかしこの事件の場合は鉄道問題にからませる意味もあるようだ、犯行は労組と無関係であっても何か大きな別な組織的集団によって行われたことは考えられる。(昭和24年7月8日付東京日日新聞)

三十日午後二時から京橋第一生命相互ビル七階東洋軒で探偵作家クラブの土曜会が行なわれた、江戸川乱歩会長、木々高太郎、水谷準、香山滋、高木彬光氏ら大家新人三十数名が本紙連載「女が見ていた」の横溝正史氏を囲んで、おりからの自他殺説いずれとも決しない下山総裁事件が話題の中心となった。

横溝 下山事件のいままでの諸材料で小説を組立てるとわたしは被害者が犯人のために有利にはたらいたのではないかと思う、自分にとって非常に有利になる情報を提供するといわれて被害者は犯人と密会を約す、そのさい犯人はフラフラ歩かれるとあとで足取りがわかるので被害者に口ヒゲ、メガネなどのかんたんな変装用具を渡し、被害者は銀行の貸金庫に入れる、当日被害者は銀行へいって変装用具をとりだし、変装に便利なデパートへ入り便所で変装して地下鉄で犯人とともに現場附近までいった、現場で口論となり格闘、メガネはそのさいくだけてしまう、被害者が死んだので犯人は自殺を装うため死体をレールに横たえる。

江戸川 他殺体をレールにのせて自殺体にみせかけるのは内外の小説に非常に多い、メガネや喫煙用具などがないところをみるとこの事件は決して完全犯罪とはいえない、また末広旅館に現われた男が身代わりだとも考えられるが、そうだとすればもっと自殺らしい証拠をわざとまいていっただろう。

木々 目撃者の記憶は相当あやしいものでこれを頭から信用する当局は少しおかしいと思うが私は自殺説をとりたい、法医学が死後の時間をきめる学問的方法はまだ正確なものはない、また轢死後の解剖を専門的に行った学者もそうなく、下山事件以後轢死体を六体まとめていっしょにやったのが最近の状況である、その報告によると死体は非常にむごたらしく、通常内出血を起しそうもないところが内出血の症状を呈している、下山氏のコウ丸の内出血もその意味からたいした問題になるまい。

などの発言のうち「下山氏は睡眠薬中毒だったそうだから発作的の自殺だろう」「メガネがないだけでも他殺」「極右系の団体から自殺を強要され、一度承諾、現場をさまよっているうちにその団体に殺されたのだろう」などなど論議は活発、結局採決したところ自殺説が木々氏ほか一名、他殺説が江戸川、横溝、水谷氏ら二十七名で圧倒的に他殺説がリードして同四時すぎ散会した。(昭和24年8月31日付時事新報)

時事新報写真
探偵作家クラブの土曜会の様子。

最後に小説家ではありませんが、河北新報に掲載された日本易道組合連合会長山本哲仙氏の占いの結果を。

○…大きな虫めがねを通し、下山氏の写真を食い入るように眺めた山本氏の口からキッパリ出された結論は“他殺であって今月中に事件は解決される”。観相学上下山氏は自殺しない。右の目は破型といって母方の遺伝の悪さを受け終りを全うしないという宿命を持ち、眉毛からいっても末端が統一せずばらばらになっている点が結果的に非業の最後と遂げたいんねんを物語るもの。

○…目尻とマユゲの下っているのは“四尾の相”といって物質的に恵まれ、理智的で、意思が固く大成するが、敵をつくるという悪い結果がつきまとい、結局怨恨による他殺ということになる―それなら犯人は?…もちろん単独犯ではなく、主犯は三十五歳前の男で、近親者ではなく面識のある者で、犯行は計画的なものだ。

○…解決は以外に早く、九日か十日中には検挙の第一のカギがつくられ、遅くとも今月中には一網打尽に検挙される。近況をみれば更によくわかるが、今度の事件は“列車自殺”とみせかけた犯行のカモフラージュが犯人にとって破たんの原因になりますよ……と結んだ。(昭和24年7月9日付河北新報)

河北新報写真
大きな虫眼鏡を使って写真を鑑定する山本哲仙氏。

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