トップ > 下山事件関連本 > Prev > 『増田甲子七回想録 吉田時代と私』 > Next

『増田甲子七回想録 吉田時代と私』

『増田甲子七回想録 吉田時代と私』、増田甲子七(著)、昭和59年(1984年)、非売品

下山事件当時、第3次吉田内閣の官房長官だった増田甲子七氏の回顧録です。第三章の「労働大臣・官房長官時代」に「自殺か他殺か下山事件」という項目があるので、そこの内容だけ簡単にまとめます。

国鉄の人員整理の責任者である下山氏はやはり随分悩んでいましたが、直接の上司の大屋運輸大臣のところにはあまり行かず、増田氏をしばしば訪れ、官房長官質や官邸の庭で話し合いをしたそうです。下山事件に関しては増田氏は他殺説ですが、その理由は、高麗川列車脱線転覆事故(昭和22年)のとき、増田氏は下山氏(東京鉄道局長)と一緒に自動車内で首相官邸と現場を往復しましたが(往復で約4時間)、その間下山氏は事件については何も触れず、「私は子供の頃から鉄道が大好きで、今は希望した職に就けて幸せだ」という話ばかりして笑っており、事故後も原因究明をしなかったことから、下山氏は神経が図太いという印象があり、自殺するとは考えられないからだそうです(この本では触れられていませんが、このとき下山氏は事故の責任をとって当然辞任すべきところをしていません。『国鉄の戦後がわかる本 上巻』参照)。その確信をさらに裏付けたのが、下山氏の衣服に付いていた油や、死後轢断という東大鑑定だったと述べています。増田氏をはじめ、政府高官の多くは他殺説でしたが、大屋運輸大臣だけは「あれは自殺だよ」と言っていたそうで、増田氏はそんな大屋氏を叱りつけています。下山白書を読むと、大屋運輸大臣は警察に対してはそのような見解は一言も述べておらず、政府の思惑という観点から見てみると興味深いものがあります。

下山事件とは直接関係ありませんが面白いエピソードがひとつ記されていました。松川事件が起きた直後に増田氏は共産党の犯行を匂わす発言をしたとされていますが(増田氏自身は「いまわが国には一種の不穏な空気が漂っている。まだ確かなことはいえないが、この事件はこの不穏な社会情勢に影響を受けた事件の一つのように思われて仕方がない」と述べただけで、共産党の仕業と言ったことはないと本書で否定しています)、この発言を理由に共産党の林百郎氏らが「松川と首相官邸の間は急行列車で来ても四時間はかかる。それなのに、東京でただちにコメントできるのは、わが党の仕業どころか増田甲子七の謀略だ」と「増田謀略説」を宣伝して回ったのだそうです。増田氏は怒りを覚えつつも基本的には黙殺していたそうです。

トップ > 下山事件関連本 > Prev > 『増田甲子七回想録 吉田時代と私』 > Next