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『証言・私の昭和史6 混乱から成長へ』

『証言・私の昭和史6 混乱から成長へ』、テレビ東京(編)、平成1年(1989年)、文春文庫

昭和史の生き証人たちにインタビューして証言をとるというテレビ番組の内容を書籍化したものです(下山事件は、昭和41年7月1日放送分)。様々なテーマのうちのひとつが下山事件で、証言をしているのは元朝日新聞記者の藤井恒男氏、元東大教授教授古畑種基氏、元国鉄総裁加賀山之雄氏、元警視庁捜査一課関口由三氏の4名です。以下に簡単に内容をまとめます。

加賀山氏は、鉄道を愛していた下山氏が鉄路の上で自らの命を絶つはずはないと述べています。加賀山氏はGHQ犯行説には否定的で(絶大な権力を有していたアメリカがそんな小細工をする必要がないという理由で)、コミンテルンが下山、三鷹、松川の一連の事件の首謀者であろうと推測しています。

古畑氏は、当時死後轢断という結論にとどめたものの、その中には他殺という含みもあり、その考えは全く変わっていないと述べています。死因としては血抜きを推定しています。当時の警察の捜査に関しては、不満はあるものの一定の評価をしているようです。ただ、国際犯罪として頭を切り替えて捜査しなければならなかったとしています。

関口氏は、目撃者の存在、失踪前の不可解な行動、睡眠薬を相当量もらっている事実、死体運搬がほぼ不可能であることから自殺を主張しています。警視庁の自殺発表を阻止したのはGHQであろうというのが関口氏の意見です。

藤井氏は、下山事件発生時の取材にまつわる逸話や、朝日新聞は東大法医学教室の鑑定結果に非常に重きを置くという姿勢だったことを話しています。矢田喜美雄氏の東大法医学教室取材グループや、警視庁詰めのグループとは別で、事件当時は五反野の現場近くの民家に頼んで前線本部を作り取材したとのことです。藤井氏は他殺だと考えており、轢断現場周辺や末広旅館で目撃された人物は替え玉であろうとしています。『講座・コミュニケーション5 事件と報道』によると、朝日新聞の下山事件担当デスクが藤井氏だったとのことです(毎日新聞は平正一氏)。「この二人のデスク記者(藤井氏と平氏のこと)が洪水のように流入してくる下山事件の情報を最初にフィルターする役目を担っていた」とあります(『講座・コミュニケーション5 事件と報道』、p146)。

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