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ロープ小屋の構造

他殺説によると、下山氏の死体は犯行グループによって轢断地点に運ばれる前、一時的に近くのロープ小屋に置かれたことになっています。そのロープ小屋とはどんな構造をしていたのでしょうか。東京都23区の昭和初期航空写真(昭和22年と昭和38年)のサービスがgooで見られますが、調べてみると昭和22年の写真にはしっかりロープ小屋が写っています。「小屋」と聞くと、小さなプレハブ小屋のようなものを連想しがちですが、実際はロープを作るという目的のため、長さ約80メートルにわたる細長い建造物でした(『真実を追う』p169)。宮城音弥・二三子著の『下山総裁怪死事件』(光文社)には150メートルと書かれていますが(p161)、航空写真から見る限り、やはり80メートル前後という情報がやはり正しいようです。手形の血痕がべっとりと付いていたのは小屋の端の扉でした(少し出っ張っている部分)。昭和44年7月号「新評」の元捜査一課主任の関口由三氏による「下山元国鉄総裁“自殺”の証拠」という記事には、ロープ小屋の内部から撮った写真があります。これを見ると、長いロープ小屋の大半の部分には壁がなく外から見えることが分かります。ただ、扉付近には壁があるようなので、下山氏の死体が置かれたと推測されているのは扉周辺だろうと思われます。

航空写真
昭和22年の航空写真。ロープ小屋は細長い構造をしているのが分かります。

ロープ小屋1
関口由三著『真実を追う』(サンケイ新聞社)より。

ロープ小屋2
『資料・下山事件』(みすず書房)より。

ロープ小屋2
宮城音弥・宮城二三子著『下山総裁怪死事件(カッパブックス)』(光文社)より。

ロープ小屋4
ロープ小屋の内部。昭和44年7月号「新評」より。

ロープ小屋5
ロープ小屋の内部。扉付近か。昭和33年5月14日号「週刊朝日」(奉仕版)より。

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