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血痕は轢断現場周辺にしかなかったのか?

自殺説論者で毎日新聞下山事件担当デスクだった平正一氏は、線路上の血痕について、女性の生理血である可能性を指摘しています(当時の列車のトイレは外に垂れ流しでした)。汚物の放出口はレールの外側にあるとはいえ、風の強い日には内側の枕木まで飛ぶことも考えられる上、轢断現場近くにはシグナルがあり、列車は徐行・停車することがあったはずで、必ずしも列車外に出た血が霧状になるとは限らないでしょう(『生体れき断』p156)。管理人の個人的意見ですが、『謀殺 下山事件(文庫版)』(新風舎)p164-165に書かれている、「轢断点から五十三・八メートルから一二十一・六メートルまで」の間の「右側レールの外にはみ出ている枕木の端ばかり」に発見された「コメ粒ほどの大きさの」血痕は、走行中の列車のトイレから外に出たものである可能性が特に高いと考えています(死体運搬のストーリーでは、この米粒大の血痕も大きな血痕も同じ扱いをされています)。また、現場近くは飛び込み自殺の多い場所で、それまで30人あまりの自殺者があり、下山氏の轢断地点とまったく同じ場所ではないものの、昭和24年に入ってからも既に2人の自殺者が出ていました。それに加え、当時は周辺住人は轢断現場周辺の線路を横切って渡るなど、現在のように鉄道関係の限られた人間しか立ち入れないような場所ではありませんでした(五反野轢断現場周辺の目撃者証言血痕は新しかったのか?参照)。探索に使われたルミノールは微量の血液でも検出できるだけでなく、新しい血液よりも古い血液により鋭敏という性質をもっているという事実も併せて考慮すると、轢断現場上手で血痕が見つかったからといって、それを事件に安易に直結させるのは危険だということが分かります(『下山事件全研究』p413-414、『生体れき断』p155-156、『資料・下山事件』p291、『血痕鑑定』p32)。

こういった主張は突き詰めれば、「血痕は轢断現場周辺だけにしかなかったのか?」という疑問に行き着きます。これは忘れられがちですが、血痕に特別な意味を付与する上では非常に大切な前提です。警察関係者は、列車のトイレは垂れ流しなのだから線路上にルミノール反応があるのは当たり前と考えていたようですが(『真実を追う』p165、『資料・下山事件』p292、『刑事一代』p230)、実際に荒川鉄橋より遠く(上手)に調査範囲を広げたりしたことはなかったようです。もし実際に調査していれば、荒川鉄橋よりも更に上野方面に向って血痕が見つかる可能性は低くなかったのではないでしょうか。そもそも矢田喜美雄氏らが血痕を探す範囲を荒川鉄橋付近までで終了したのは、ルミノールの残量も関係していたと思われます。もしあのときのルミノールがもっと大量にあり、探索範囲がもっとずっと広かったならどうなっていたでしょう。死体運搬ルートの綺麗なストーリーは作れたのでしょうか。実際、轢断現場より下手方面をその後調べた警視庁鑑識課の岩田政義氏は次のように述べています(佐藤一著 『下山・三鷹・松川事件と日本共産党』 三一書房、p79)。

旅客列車からは糞便が排出されているし、女性の生理血液も散乱するのだから、線路上はどこでも血痕反応は出ますよ。事実、あれから轢断点下手の綾瀬より上り線を検査してみましたが、いたるところに血痕反応がありました。だから問題になりませんよ。第一、あの血痕という奴が古いんです。事件当時の血液なんてもんじゃないんです。

仮定の話はこれくらいにしますが、矢田喜美雄氏らが調べた範囲内についてでさえ、荒川鉄橋の工事用渡り板で検出された血痕については、矢田氏も柴田哲孝氏もはっきりとした理由も書かずに死体運搬のストーリーから除外していることは指摘しておきたいと思います(柴田氏は工事用渡り板で血痕が発見された事実にさえ触れていないので当然といえば当然ですが)。

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