トップ > 謎の血痕 > Prev > ロープ小屋扉の血痕 > Next

ロープ小屋扉の血痕

ロープ小屋の扉に付着していた血痕が地面から1.7メートルのところにあったという情報をもとに、それが少なくとも身長170センチ以上の「大男」によって付けられたものではないかという、主に他殺説論者による推理があります(『下山事件 最後の証言(増補完全版)』p361、『資料・下山事件』p505、『日本の黒い霧 上巻(文庫版)』p26、82、『謀殺 下山事件(新風舎文庫版)』p169、174)。確かにそれなりに説得力のある推論といえるでしょう。しかしながら、このロープ小屋扉の血痕を初めて報じた昭和24年7月28日付の朝日新聞は「ロープ工場内のトビラの血こんは高さ一メートル二五のところに幅十五センチの指のあとらしい反応を示しており身長一メートル六〇以上の男の手ではないかとも考えられる」としているのです(『下山事件全研究』p412、501)(※管理人注、法医学や血痕関連の朝日新聞の記事の執筆者は、矢田喜美雄氏である可能性がかなり高いと思われます)。現在よりも平均身長の低かった当時でも、これで「大男」とは言えないでしょう。「大男説」の根拠「1.7メートル」には猜疑を差し挟む余地がありそうです。

では、「大男説」は誰がいつ言い始めたのでしょうか。それはどうやら、昭和33年5月30日の「週刊朝日 奉仕版」に掲載された矢田喜美雄氏の「下山事件 記者日記」という記事が最初のようです(『下山事件全研究』p501)。実際この記事を見てみると、矢田氏は「ロープ小屋の扉からさらに新しい血痕を見つけていた。ルミノールがまた活躍して、板戸には六尺近い大男の血染めの手形を思わせるものがあった」と書いています。この記事以降、矢田氏はロープ小屋の扉に血痕をつけたのは大男だと主張し続けています(『昭和史探訪6 戦後30年』p51、『資料・下山事件』p505、『謀殺 下山事件(新風舎文庫版)』p169、174)。そしていつしか「一メートル二五」は忘れ去られ、「六尺近い大男」のイメージが定説として一人歩きし始めたというのが真相ではないでしょうか。ちなみに「大男」という言葉は、占領下の時代にアメリカ兵の犯罪を示唆するときに、占領軍の検閲に引っかからぬようしばしば使われた表現です(『一九四九年 「謀略の夏」』p130)。なお、矢田氏だけでなく東大法医学教室の古畑氏も昭和34年の『今だから話そう』では「小屋の扉の血痕は、高さ一メートル二五のところに、幅十五センチの指跡らしい反応を示し…」(p235)、と述べていますが、昭和44年の『資料・下山事件』のなかのインタビューでは「その血は六尺ぐらいの高いところについているんですね。だから相当背の高い人がつけたのではないかという、そういう疑いがもたれる」と証言内容を変えています(『資料・下山事件』p214)。ちなみに、著書で占領軍の事件への関与を示唆した矢田氏は、事件発生当初はどうやら左翼犯行説を信じていたようです。

扉の血痕の位置だけでなく、その血液型に関しても、矢田氏は一貫性を欠いた主張をしています。「血痕群の分布状況」で既に見てきたように、『謀殺 下山事件』と『資料・下山事件』では血痕群の血液型に関する証言内容が異なるのです。『謀殺 下山事件』は1973年に刊行されましたが、ここではロープ小屋の扉に付いていた血痕の血液型はAMQ型だとはっきり書いています(新風舎文庫版、 p180-182)。しかし、1969年刊行の『資料・下山事件』(みすず書房)では、ロープ小屋の扉から出たのはAMであると述べています(p505)。『下山事件全研究』の著者、佐藤一氏はかつて下山事件研究会に所属し、『資料・下山事件』の編集に携わりましたが、その際「AMQ型の血痕はシグナル付近とロープ小屋からみつかった」という事実の確認を矢田氏に求めたところ、「ロープ小屋の血痕はAMであった」とわざわざ訂正してきたとのことです(矢田氏自身の筆による訂正原稿の写真もあり。『下山事件全研究』p425-426)。したがって、『資料・下山事件』での矢田氏の証言は勘違いなどではないと考えられます。

矢田氏は東大法医学教室に深く関係していただけでなく、血痕群発見の立役者でもあるため、血液型鑑定の手続きや結果を詳細に知り、しっかりと記録できる立場にいたはずです。それにもかかわらず、証言内容が一定しないのは全く不可解と言わざるをえません。血痕の検査中ならまだ話は分かるのですが、これらの証言は検査が全て終了した後のもので、本来なら変わるはずはないのです。矢田氏には、客観的事実についてすら証言を節操なく変えてしまうという悪い癖があるように思えてなりません。

血痕の着いていた扉
ロープ小屋内部の血痕。『下山事件全研究』(佐藤一著)p429より。

『資料・下山事件』原稿
矢田氏直筆の訂正原稿。『下山事件全研究』(佐藤一著)p426より。

血痕の着いていた扉
扉に付着した血痕。『下山総裁怪死事件』(宮城音弥・二三子著)p131より。

トップ > 謎の血痕 > Prev > ロープ小屋扉の血痕 > Next