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血痕は新しかったのか?

もし轢断現場上手で発見された血痕群が下山氏のものだとすると、当然血液型鑑定時には新しかったはずです。それら血痕の陳旧度について、実際に鑑定にあたった東大法医学教室と警視庁鑑識課のメンバーの見解はどうなのでしょうか。また、轢断現場を早いうちから調べた警察関係者は血痕群には気づかなかったのでしょうか。

当時東大法医学教室助手だった中野繁氏は、記憶が鮮明ではないと断りを入れた上で、血痕は「大分古いもの」だったと証言しています(『下山事件全研究』p415、『下山・三鷹・松川事件と日本共産党』p80)。同様に、警視庁の岩田政義鑑識課員、平嶋侃一法医担当技官の両氏もやはり血痕はかなり古いものだったという見解を示しています(『下山事件全研究』p422、『下山・三鷹・松川事件と日本共産党』p79)。ちなみに、東大での血痕に関する検査は中野氏が中心になっておこなわれ、彼自身が鑑定書を検察庁に提出しているそうです(『下山事件全研究』p415、417、『下山・三鷹・松川事件と日本共産党』p80)。矢田喜美雄氏は『謀殺 下山事件』で鑑定書の存在に触れていますが、残念ながらその詳しい内容は関係者以外誰も知りません。

轢断現場では早くから多くの警察関係者が轢断地点を特定するために注意深く線路上を調べていますが、その際、目安になるのは死体の散乱状況に加え、真新しい血痕の分布位置であったと考えられます。したがって、もし轢断現場上手の血痕群が新しく鮮やかな色をしていたならば、ほぼ確実に警察関係者の目に付いていたはずですが、血痕が最も鮮やかな色を呈しているはずの事件直後の肉眼検査でも、そういった報告はありませんでした。実際に現場検証に当たった関口由三氏は、「六日の朝の現場検証で、私たちはもちろん、鑑識課でも大勢動員して証拠の収集を行ない、血痕が出たといわれる枕木上なども眼を皿のようにして見てまわっているからだ。その日ばかりではない、たびたび鑑識課は出動しているが、枕木上に血痕らしきものは発見されなかった」と述べています(『真実を追う』p166)。この証言を裏付けるように、下の三枚の写真を見ても、警察は轢断点より上手のレールも調べていることが明らかです。このガード下の辺りは、自殺では説明できないとされる血痕が発見された地点を含んでいます。

現場検証
轢断現場周辺の検証。レールのカーブ具合や東武線ガードの位置からして、轢断地点より下手だけでなく、上手も検証しているのが分かります。写真向かって右の人物は捜査一課長の堀崎繁喜氏。宮川弘氏著『下山事件の真相 第二巻』(鎌倉芸林)より。

現場検証
昭和24年7月7日付の朝日新聞より。

現場検証
昭和44年7月号「新評」より。

他殺説からすれば、「警察は轢断現場上手の血痕の存在を認識していたが、黙殺したのだ」という考え方も可能かもしれません。しかし、事件直後から現場にいたのは警察のみではなく、多くの報道関係者もいたはずです。例えば、毎日新聞の高橋久勝氏などは、「聞き込みは他に任せて、発見されていない所持品を探してみろ」と担当デスクの平正一氏に指示され、事件直後に轢断現場周辺を歩いて調べています(『事件の裏窓』p198)。興味深いことに、轢断現場周辺には、警察や報道関係者だけでなく、一般の周辺住民も自由に立ち入りできたらしいことを示す写真もあります(下の写真を参照)。それらには、未発見所持品を探索するための捜検器が一般住民らしき人たちとともに写っていますが、当時の新聞によると、捜検器が使用されたのは、7月9日朝から12日午後4時までということですから(昭和24年7月10日付の朝日、読売、毎日新聞、および13日付の毎日新聞)、かなり早い時期に一般住民も轢断現場周辺を見て回ることができたということになります。下の写真は共同通信配信のもので、7月10日付の信濃毎日新聞などで既に見ることができるため、7月9日に撮影されたものでしょう。また、7月13日付のいはらき新聞などに掲載されている共同通信配信「連日にぎわうガード下現場」という記事にも「下山事件第二現場五反野南町東武ガード付近は、連日捜査陣、報道陣、さては物見高い野次馬でにぎわっているが」という記述があります。

遺留品捜索
遺留品の捜索風景。宮川弘氏著『下山事件の真相(上)』(東洋書房)より。

捜検器
捜検器による遺留品の捜索。宮川弘氏著『下山事件の真相(上)』(東洋書房)より。

血痕の鑑定者および現場の調査にあたった警察関係者による血痕の陳旧度に関する証言と、報道関係者や一般周辺住民が現場に自由に入れたにもかかわらず轢断地点より上手の血痕を発見できなかったという事実を総合して考えると、後にルミノールで検出された血痕は、変色し枕木の色と区別しにくくなった古いものと考えるのが妥当だと思われます。血痕が古いという事実だけでも、それが下山氏のものであるという確率はほとんどゼロになります。

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