トップ > 他殺説 > Prev > プロパガンダと真実と嘘 > Next

プロパガンダと真実と嘘

柴田哲孝氏は著書で「プロパガンダには真実と嘘の両方が含まれる」と繰り返し述べています(プロパガンダと同じ意味で「偽情報」という言葉も使っています。『下山事件 最後の証言(増補完全版)』p78、80、219-221、362、439、490、528)。柴田氏は大事な推理に入る前に必ずといっていいほどこの「原則」を持ち出し、過去に偽情報と判断された証言からも自らの判断で嘘を切り捨て、「真実」のみを抽出していきます。しかしいくら読んでも、どの情報をプロパガンダと見なすか、そして何を真実と見なすかの基準と根拠ははっきりと提示されません。かろうじて「下山事件の時効直前に出てきた情報はプロパガンダである可能性が高い」と述べられていますが(p147、221、361、362、369、370、397、439、528)、説得力のある根拠とは程遠いといえるでしょう。結局、判断基準は柴田氏の「カン」なのかもしれません。

また、この論法は前提と根拠が極めて弱い割には非常に使い勝手が良いという特徴があります。例えばAとBという2つの情報があったとします。一般的にはもしAが信用するに足らない嘘の情報だと判断されると、Bの情報からしか推理や考察を組み立てられません。しかしAにもBにも真実と嘘が紛れ込んでいると仮定すると、両方から情報を取り出せます。情報がA、B、C、D、E・・・と沢山あれば選択肢は更に増えるため、なにかストーリーを作り上げたい場合に、この方法を用いると自由度が格段に上がります。しかも都合のいいもの(柴田氏の言う「真実」)を取り出せるだけでなく、都合の悪いもの(柴田氏の言う「嘘」)は否定できるのです。

結局のところ、「プロパガンダには真実と嘘の両方が含まれる」とか「時効直前」云々といった、それらしい前置きがあるものの、それは特に根拠もなく結論を出しているのを誤魔化すための煙幕でしかなく、身も蓋もない言い方をすれば、柴田氏が本当だと思えば本当で、嘘だと思えば嘘にできる、至極便利な、しかし中身のまるで無い論法でしかありません。また、斎藤茂男氏が言うように、下山事件関連の情報にはプロパガンダですらない、すべてまるっきり嘘の情報も多いことを忘れてはならないでしょう。

トップ > 他殺説 > Prev > プロパガンダと真実と嘘 > Next