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平成三部作と末広旅館

平成三部作は、末広旅館の女将NFさんの夫であるNKさんが元警察(特高)関係者だったという「新情報」を入手したという点をひとつの売りにしています。この新情報によって、平成三部作は、末広旅館での下山氏らしき紳士の目撃情報が他殺説を葬り去るための偽証である可能性、つまり事件を強引に自殺で幕引きしようとする警察が裏で糸を引いた捏造証言である可能性を、読者に印象付けることに首尾よく成功しているように見受けられます。

この「新情報」は、もともとは『葬られた夏 追跡下山事件』の著者、諸永裕司氏が元捜査一課の刑事、金井岩雄氏を取材し聞きだしたものです。該当部分を引用します(『葬られた夏 追跡下山事件(文庫版)』(朝日新聞社)p178 )。

また、亡くなってから十七年になる夫のKについて、捜査一課の数少ない生き残りの刑事である金井は雑談の中で意外なことを漏らしていた。

「最初に通報してきたのは末広旅館の旦那だったけど、このNKっていう男は偶然にも私の先輩でね。警察に入って間もないころ、麻布鳥居坂署で一緒だったんだ。そのとき、(関口由三・捜査一課)主任も顔見知りだった。元特高の警察官なんだよ」

新情報だった。第一通報者で疑惑の証言をした末広旅館の女将の夫が捜査一課員と旧知の間柄だったことになる。

やはり、自殺説は仕組まれていたのだろうか。

次にこの新情報に関する記述を、柴田哲孝氏の著作から引用してみましょう(『下山事件 最後の証言(増補完全版)』(祥伝社)p173)。柴田氏は諸永氏からもたらされた新情報に「いったいこれはどういうことだ?」と興奮すると同時に、事件当時捜査一課の刑事だった関口由三氏の著書の不自然な記述も指摘しています。

この末広旅館に関しては、後に朝日新聞社の諸永記者が興味深い情報を入手した。以下に引用してみよう。

(※引用部分は既に引用した諸永氏の著書にある金井氏の発言なので省略、管理人注)

いったいこれはどういうことだ? 末広旅館の夫婦は亜細亜産業と関係があっただけでなく、自殺論を展開する捜査一課の現場責任者とも旧知の仲だったということになる。

NKと「顔見知りだった」とされる関口由三は、警視庁を退職後の昭和四十五年、『真実を問う 下山事件捜査官の記録』をサンケイ新聞社から発表している。この本は、もちろん捜査一課の見解を主張する“自殺論”だ。その中で関口は末広旅館について触れ、 NKについて「経歴から見ても対談しても、りっぱな人であった」と評しているが、「知り合いだった」とは一言も書いていない。ちなみに、 NFの調書を作成したのも、関口由三である―――。

森達也氏は、末広旅館があった敷地の隣にある不動産屋を訪れNKさんの後妻の女性にインタビューをし、独自に同じ内容の新情報を掴んでいます。後妻の女性はやけに記憶力が良く、NK氏の知り合いの刑事たちは捜査二課ではなく、みな捜査一課に所属していたことも証言しています。該当部分を引用してみましょう(『シモヤマ・ケース(文庫版)』(新潮文庫)p311-313)。

亡夫であるNKが、戦時中は憲兵隊にいたことを彼女は教えてくれた。その当時からの付き合いで、自殺を主張した捜査一課には、事件以前からの知り合いが大勢いたという。二課にはいない。彼女の記憶では一課だけだ。

下山自殺説の最大の根拠とされてきたNFの証言が、不自然なほどに具体的過ぎることは当時から指摘されてきた。亜細亜産業という疑惑の組織に所属する『彼』の祖父が、そのNFと交流があったことを取材の端緒に知った。そしてたった今、Fの夫が自殺を強硬に主張する捜査一課と浅からぬ因縁があったことも、回るキャメラの前で明らかになった。

NKさんが特高に所属していたという事実が、平成三部作によって下山事件発生から50年以上経って初めて明るみに出た新情報となれば、やはり意図的に隠蔽されていた可能性も考慮しなくてはならないかもしれません。しかし一足飛びにそう結論づける前に、末広旅館の女将の夫と旧知の仲だったという関口由三氏の著書を見てみましょう。以下に引用するのは、柴田哲孝氏が不自然さを指摘した記述です(『真実を追う 下山事件捜査官の記録』(サンケイ新聞社)p109-110)。

同日、主人のNKさんの調書も作成している。その内容の要点は、

大正十年警視庁巡査を拝命、鳥居坂警察署勤務、交通、特高係りをやる。父NSは警視庁剣道師範で芝三田で道場を開いて いたので、その助教をしていた。父が死亡し恩給もついていたので、昭和八年五月三日辞めて向島吾嬬町の合資会社前田鉄工所支配人 となり、昭和二十年三月辞め、現在は株式会社日本リヤカー工場の監査役をして、妻名義で旅館を経営している。下山総裁に似た人が 休まれたことを初め三男のS君が気づき、家内もほんとに間違いないということで、届け出たものである。人に依頼されたり虚偽のことを 申し上げたのではなく、私も妻もそんな人間ではない。

と証言している。経歴から見ても対談しても、りっぱな人であった。

確かに柴田氏は間違ったことは書いていません。関口氏は「知り合いだった」とは一言も書いていないわけですから。しかし、昭和45年に関口氏が自らの著書の中でNKさんが元特高関係者だと明らかにしている事実を考慮すると、この情報にどれほどの意味があるのか疑問に思えてきます(関口氏は、上記引用部分と同内容を著書より一年早い昭和44年、雑誌「新評」7月号にも発表しています)。そもそもNKさんと関口氏が知り合いだったという事実は、金井氏が雑談中に諸永氏に自発的に話したのであって、警察側としては隠す必要はなかったのでしょう。末広旅館と警察のつながりに深い意味や陰謀を見出すのは多少強引と見るのが妥当ではないでしょうか。言いかえれば、このような大胆な推理をするには、それを支えるもっとましな証拠や情報が必要といえます。

しかも、NKさんが特高に所属していた事実を書いたのは、なにも関口氏が初めてというわけではありませんでした。関口氏の著作以外にも、「下山事件をめぐって 本社記者座談会」(「週刊朝日」昭和24年7月31日号)、堂場肇氏著『下山事件の謎を解く』(昭和27年)、平正一氏著『生体れき断』(昭和39年)、「下山国鉄総裁は自殺だった 38年目の真実」(「中央公論」昭和61年4月号)といった記事や著作によって、NKさんが元警察関係者だったのは事件発生直後から周知の事実だったのです。しかも、平成三部作を読めば分かりますが、柴田哲孝氏は『真実を追う』と『生体れき断』を、諸永裕司氏は『生体れき断』と昭和24年の週刊朝日の記事を、そして森達也氏は『生体れき断』を、それぞれ引用したり参考文献として挙げているのです。それにもかかわらずNKさんが元特高だった事実を「新情報」だと書いているということは、彼らがろくに引用・参考文献に目を通してないか、もしくは、新事実ではないということを自覚しつつ、自らの著作を面白おかしくするために嘘を書いているということになります。

ここで最初に立ち戻って、「新情報」の発掘者、諸永裕司氏が金井氏に取材を試みようとしたきっかけを与えたものはなんだったのかを見てみましょう。それは、「週刊新潮」(1999年2月11、18、25日号)に載った、麻生幾氏による下山事件関係の一連の記事です。この連載を評して諸永氏は『葬られた夏(文庫版)』(朝日新聞社)で次のように述べています(p138-139)。

そもそも、下山のポケットから麦の穂が見つかったことは、事件直後の四十九年七月十七日付の朝日新聞が報じている。それをあたかも新証言のごとく扱っていることが不思議だった。僕はこの烏麦証言をした金井岩雄という刑事に直接たずねてみたいと思った。

五反野を徘徊した下山氏によく似た紳士の目撃者のうち、YTさんは紳士がしゃがみこんで草の葉をちぎっているのを見ています。この証言は、金井氏が下山氏の上着のポケットから発見した烏麦の穂と整合するものです。諸永氏は、烏麦の穂を発見した金井氏に興味を持ち、インタビューの約束を取り付け、そして取材中のふとした雑談のなかでNKさんに関する「新情報」を聞かされたというわけです。一応自然な流れに見えますが、しかし、取材の端緒となった週刊新潮の麻生氏の連載を実際に読んでみると、次のような記述があるのです(「週刊新潮」1999年2月18日号)。

さらに同日、初めての目撃証言が捜査本部に飛び込んだ。死亡直前の下山総裁を見た、という重要証言だった。「遺体発見現場近くにある末広旅館から電話があったのです。偶然にも、旅館の女将の旦那さんが、かつて麻布鳥居坂警察署にいた警察官で、主任(関口)さんも知っているし、私の先輩でもあったことから、素早く電話をしてくれたのです。旦那さんは下山総裁を見てはいなかったのですが、奥さんがハッキリ見ていました」(金井)

週刊新潮1999_2_18

つまり諸永氏は、「末広旅館のNK氏が元警察関係者だったこと」、「捜査一課の関口氏とNK氏が知り合いだったこと」がはっきり書いてある記事を読んだのがきっかけで元捜査一課の金井岩雄氏にインタビューをしたにもかかわらず、雑談中に聞かされたNKさんについての話を元に「新情報だった。第一通報者で疑惑の証言をした末広旅館の女将の夫が捜査一課員と旧知の間柄だったことになる。やはり、自殺説は仕組まれていたのだろうか」といった文章を自著で堂々と書いているわけです。これは諸永氏の勘違いや記憶違いでしょうか。しかし、天下の朝日新聞の敏腕記者諸永裕司氏が、こんな情けないミスを犯すとは思えません。万が一ケアレスミスだったとしても、諸永氏のみならず平成三部作の著者らすべてが新情報ではないことに気づかなかったというのも、まったく理解しがたいところです。

下山事件の他殺説は、自殺説に比べて確かにある意味面白く、また「下山事件は他殺である」という先入観が一般に共有されているためか、平成三部作は読者に概ね好意的な評価をされているように見受けられます。しかしながら、「自殺か他殺か」は別として、「著者の読者に対する態度は誠実か」という冷静な観点に立てば、より厳しい評価をされてしかるべきものだと当サイト管理人は考えます。平成三部作における末広旅館の「新情報」の扱いは、真剣な読者を馬鹿にしたものとはいえないでしょうか。最後に、管理人が非常に感銘を受けた、諸永裕司氏のジャーナリストとしての決意表明ともいうべき印象的な一文を引用したいと思います(『葬られた夏 追跡下山事件(文庫版)』p232)。

何が起きたのかをきちんと聞き出し、記録することが仕事じゃないか。

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