新聞関係小ネタ
室町茶寮の広告(昭和24年7月6日付読売新聞より)。当時の地下鉄三越前駅地下飲食街には「室町茶寮」と「香港」という喫茶店がありました。室町茶寮は国鉄幹部の会合場所として利用されていたということです(読売新聞、昭和24年7月7日付)。
ピースの広告(昭和24年7月6日および29日付毎日新聞より)。轢断現場で下山氏の上着ポケットから見つかった煙草の銘柄はピースでした(『生体れき断』p93)。
ライカの広告(昭和24年7月7日付サン写真新聞より)。下山事件当時、亜細亜産業の入っていた東京日本橋の通称“ライカビル”。その呼び名の由来は、ライカのカメラを取り扱っていた代理店のシュミット商会がビル内にあったからだそうです。このサン写真新聞のライカの広告は、奇しくも「下山国鉄総裁の轢死体発見」という大きな記事のすぐ下にあります。
国策パルプの広告(昭和24年7月27日付世界経済新聞より)。水野成夫氏が副社長を務めていた企業ですね。
もうひとつ国策パルプの広告(昭和24年10月30日付時事新報より)。
赤旗の風刺画。上からそれぞれ昭和24年6月26日、7月1日、7月22日付の紙面より。
昭和24年7月3日(上)と24日付(下)東京新聞の風刺画。
昭和24年7月6日付東京日日新聞の風刺画。
昭和24年7月6日付東奥日報の風刺画。
昭和24年7月9日付大阪新聞の風刺画。
昭和24年7月8日(上)と14日付(下)東京タイムズの風刺画。
昭和24年7月17日付中国新聞の風刺画。
昭和24年7月27日付南日本新聞の風刺画。当時の法務総裁は殖田俊吉氏。
昭和24年8月14日付サン写真新聞の「銀座カンカン娘」広告。高峰秀子の主題歌が有名です。
「青い山脈」広告。昭和24年といえばこの映画ですね。昭和24年7月17、24日付サン写真新聞(上、中)、7月18日付夕刊京都より(下)。
下山事件関係の記事を多数所持した若い男が仙台で自殺未遂。事件への関与を疑われました。昭和24年7月9日付河北新報より。
昭和24年7月12日付河北新報の物価速報。ヤミ価格も載っています。
霊界の秘密に阻まれ事件の真相解明には至らず。昭和24年7月17日付河北新報より。
国鉄の人員整理に伴う悲喜劇。昭和24年7月19日付河北新報より。
貧しい当時の日本にも痩せ薬が。昭和24年7月30日付河北新報(左)、7月8日付山陽新聞(右)より。
国鉄被整理者の手記。昭和24年7月24日付中部日本新聞より。
「この列車、どうしてこうがら空きなのだろう?」「国鉄総裁が乗ってるからさ」「そりゃいかん、オレも下りよう」 下山事件発生直前に掲載された高田保氏の「ブラリひょうたん」。昭和24年7月2日付東京日日新聞より。
下山氏の胸像。現在もどこかにあるのでしょうか。『サン写真新聞 “戦後にっぽん”昭和26年』(毎日新聞社)(左)、昭和26年7月6日付サン写真新聞(右)より。