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八高線列車転覆事故

下山事件前後に起きた鉄道事故のひとつとして有名なものに、昭和22年2月25日に起こった八高線列車転覆事故があります。八高線八王子6時48分発高崎行き下り六両編成の第三列車が、東飯能駅を定時より約7分程遅れて発車し、午前7時50分頃高麗川駅手前約1キロ付近にある下り勾配20/1000、半径250メートルの急カーブに差し掛かった際に、後部四両が脱線し高さ約5メートルの土手から転落しました。列車内は遅配に苦しむ東京都民が買出しのために殺到し連日超満員で、死者184人、負傷者495人を出す大惨事となりました。列車乗務員は事故発生時にはそれに気付かず、高麗川駅に到着してから初めて後部車両の異変を発見したということです。事故原因としては、若い機関士が就職後半年しか経っておらず経験不足だったこと、列車に速度メーターが装備されておらず機関士の目測で速度の調整が行われていたこと、ブレーキの不具合、定員を大幅に上回る利用客により重量が加わったことなどが挙げられています。八高線列車転覆事故発生当時、佐藤栄作氏は運輸次官、下山定則氏は東京鉄道局長、加賀山之雄氏は業務局長でした。八高線では昭和20年8月にも小宮-拝島間で死者105名を出す列車の正面衝突事故が発生しています。

八高線列車転覆事故朝日新聞
昭和22年2月26日付朝日新聞より。

八高線列車転覆事故毎日新聞
昭和22年2月26日付毎日新聞より。

八高線列車転覆事故読売新聞
昭和22年2月26日付読売新聞より。

参考サイト

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