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貸金庫の春画

千代田銀行の下山氏の貸金庫の中に春画が入っていたという情報は、下山事件関連本ではよく見かけます(『日本の黒い霧 上巻(文庫版)』p57、62、『下山事件 最後の証言(増補完全版)』p69、『謀殺 下山事件(文庫版)』p71)。堂場肇氏の『下山事件の謎を解く』には、「たいしてうまくもなく、下品なものだった。料理屋の女中にでももらったのであろう」(p30)と、かなり具体的な記述もあります。

ところでこの春画についてはまったく逆の情報もあります。貸金庫は刑事らの立会いのもと、下山氏の実弟常夫氏が開けましたが、彼は下山事件研究会のインタビューに答えて、「そんなのありません」、「私が開いたんですから」とかなり強く春画の存在を否定しているのです(『資料・下山事件』p572)。捜査上重要ではないと考え省略したのか、それとも本当に無かったのか分かりませんが、下山白書にも千代田銀行の貸金庫についての記述はあっても、(当サイト管理人の読み落としでなければ)春画については何も書かれていません(『資料・下山事件』p301、436)。関口由三氏の『真実を追う』も、現金や家屋登記証、貴金属類が入っていたことしか書いてありません(p71)。

しかし、『生体れき断』の著者、平正一氏は、「あとがき」で本事件に深く関係がないことや故人への配慮から、貸金庫の内容には触れなかったと述べており、金庫の中にやはり何かがあったことを示唆しています。下山事件関連文献では、ほとんどガセ情報といっていいものが、いかにも真実であるかのように記述されることがしばしばありますが、ではこの春画もその類なのかというと、そう簡単には結論できないようです。ただ、事実がどうであれ、平氏が言うように事件に深く関係するものではないのでしょう。最後に憶測に過ぎませんが、管理人の考えを述べさせてもらえば、常夫氏の証言は故人の名誉を守るという意図から出たもので、おそらく金庫の中には実際に春画はあったのだろうと思います。

以下うんちくになりますが、金庫を開けるために使った鍵の番号は1261で(朝日新聞、昭和24年7月8日付)、金庫自体の番号は3500だったそうです(『語りつぐ昭和史 激動の半世紀6』、p169)。この貸金庫には客用と行員用の鍵がふたつ付いていて、開けるときには行員と一緒に行き、帰るときには客の鍵で閉めると銀行の鍵も同時に閉まる仕組み。鍵はアメリカはシンシナティのモスラーロック社の名前入り(昭和24年7月12日付山陽新聞、共同通信配信記事)。下山氏の金庫は一番小さいタイプで、深さ二寸、幅四寸、奥行き二尺でした(『下山事件の謎を解く』、p28)。

貸金庫
堂場肇『下山事件の謎を解く』より

貸金庫
世界経済新聞、昭和24年7月12日付

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