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『下山事件全研究』復刊

『新版 下山事件全研究』、佐藤一(著)、平成21年(2009年)、インパクト出版会

(※以下の文章は、「下山事件自殺説紹介ブログ」で2009年7月21日に投稿されたものです)

1976年に時事通信社から出版されたものの、最近では手に入りにくくなっていた下山事件自殺説の集大成、佐藤一氏著『下山事件全研究』が、インパクト出版会より、下山事件発生から60年目となるこの8月に復刊することになりました。あたかも他殺説が定説であるかのように語り伝えられている現在のこの状況で、下山事件研究の金字塔ともいえる本書が再び世に出ることは、極めて大きな意義があると思います。出版社の英断に心より敬意を表します。

時代は平成になり、他殺説は装いも新たに生まれ変わりましたが、『全研究』の復刊により、時に埋もれ、他殺説の文献を通してのみ語られる「記号」でしかなかった自殺説は、血の通った主張として“復活”したといってよいでしょう。残念ながら、著者の佐藤一氏は本書の復刊を待たず、先月の17日に87年の波乱に満ちたその生涯に幕を閉じられました。しかし、著者の12年の長きに及ぶ執念の調査研究と思考の結晶ともいえる本書の復刊により、自殺説の具体的な内容が広く知られるようになるのはもとより、真実の追求はどうあるべきか、事実に基づいた主張とはなにかという、自殺説の根底にある佐藤氏の切なる想いが、客観的で冷静な筆致で綴られているにもかかわらず、いや、それだからこそ、多くの読者の胸を打つものと管理人は信じています。

この佐藤氏の姿勢や信条には、やはり松川事件元被告人という経歴が色濃く影響しているものと思われます。氏の考えがよく表されている、昭和52年1月号中央公論所収の「下山事件を追う松川事件被告の執念」の一部を、少し長くなりますが以下に引用します。

私は松川事件の経験で、常に真実のみを語るということが如何に大事なことかを痛感させられた。ときには、誤り伝えられた事実が、人の命を奪うことにさえなりかねないのである。そういう証言で、実際死刑の判決も下されたことのある身であった。

この痛切な体験から、常に真実を語って、いかなるときにも事実だけはまげまいと心に期していた。もしなんらかの事情で一つの事件に発言をしなければならない場合は、事実を正確にたしかめたうえでなければならないとも考えていた。

だが私は立たされていた立場から、謀略的事件という言葉の下に、下山・三鷹事件と使い、とくに下山事件では田端をめぐる怪しい動きはその一つの現れであることなど、とくとくと喋り、また書きもしてきた。しかし、これはよく考えれてみれば私たちが悲しい思いでなんども聞いた、私たちを不利な立場につき落としたあの法廷証言の、その証言者とおなじ態度ではなかったか。私は、私が想像していたとは逆な立場に立つことになって、如何に真実を守るということがむずかしいものかということを、改めて痛感させられたのであった。

私は一つの事実を知った。関係者のすべては誤り伝えられている「事実」の訂正を求めていた。私は国鉄労働組合に、その人々のための援助を訴えた(のちに国鉄労働組合でも調査したが、死体運搬列車や田端をめぐる謀略などについて私とおなじ結論に達し、調査結果は『国鉄文化』二三六号に報告されている)。だが、果たしてこのことだけで私の責任はなくなったのだろうか。私は何度も自問自答した。心の片隅にもうこれでいいという囁きもあった。しかし、「たとえ殺されても真実を守ろう!」と叫んだかつての気持は、その程度のものであったのだろうかと、私の怯懦な気持を責める声もあった。私は迷いに迷い、悩みに悩んだうえで、よろよろと立ち上った。決して恰好よくはない。だが、ともかくやれるところまで唯一人でも事実を追求してみようと決心したのだった。

(中略)十二年前に開始した下山事件追及の到達点は、最初の予想とは全く異なった思わぬ地点になってしまった。いまここで周囲を見廻してみると、なんとも索漠とした寂寥感に襲われる。下山事件はアメリカ占領軍の謀略機関乃至はCIAの仕業であったという声と活字に満ちあふれているのだ。しかもその調子はなんと自信に満ちていることだろう! 私にもかつてはあの自信があった。これはアメリカ占領軍の謀略に違いない、という思いこみがあった。

考えてみるとやはり巷間に伝えられていた東大鑑定なるものの断定を、無条件で信じ込んでいたからであった。よもやそこに誤りがあろうなどとは正直考えてもみなかった。それらはよって立つべき確固たる地盤のように思われたのだ。

だが、その地盤はこの十二年のうちに揺れだしてきた。そこに深い亀裂さえ見出された。そして、この地盤は危い! と叫ばざるをえなくなったのである。あるいはさげすみの笑いをもってふりかえられる叫びかも知れない。しかし、やはり私は叫ぼう。それがどうしても事実としか思えないからである。

『全研究』は推理小説的な面白さを求めて読むと期待を裏切られます。事実確認と検証が延々と続くうえに、専門的で難しい部分もあるからです。小手先のレトリックだけで読者を丸め込もうとはせず、徹底して客観的な記述が連続します。良質な学術書の類といってよいでしょう。しかし、よく読めば、松川事件で二度も死刑判決を受けた人間として、愚直なまでに事実に忠実たらんとする佐藤氏の決意と信念が行間から滲み出ているのが感じ取れることと思います。『全研究』はその見かけによらず、自他殺説を越えた根っこのところで「熱い」書なのです。是非多くの人に読んでいただきたいと思います。

最後に、著者の佐藤一氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

佐藤一氏
佐藤一氏(東京新聞昭和44年6月19日付〔左〕、毎日新聞昭和44年6月12日付〔右〕)

野間宏氏による推薦文
時事通信社版『下山事件全研究』帯の野間宏氏による推薦文

新版の帯
インパクト出版『新版 下山事件全研究』帯

松川事件裁判
松川事件の裁判。佐藤一氏は手前の列、奥から2番目。Chalmers Johnson著、Conspiracy at Matsukawa, University of California Pressより。



佐藤一氏著作一覧

以下に本サイト管理人が確認できた限りの佐藤一氏の著作をまとめます。未確認のものは見つけ次第随時追加していきます。

1958年
『被告 松川事件の二十人』(単著) 平凡社
1961年
『我ら大正っ子 国の運命をみずからの運命とした世代の波瀾にみちた人間記録』(分担執筆) 徳間書店
1976年
『下山事件全研究』(単著) 時事通信社
1978年
『松山事件 血痕は証明する』(単著) 大和書房
1979年
『不在証明 島田幼女殺害事件』(単著) 時事通信社
1981年
『下山・三鷹・松川事件と日本共産党』(単著) 三一書房
1992年
『千葉大学教養部の教育実践記録 戦後史とライフヒストリー』(河西宏祐編)所収、「第三章 下山事件・松川事件の真実」 日本評論社
1993年
『戦後史検証 一九四九年「謀略」の夏』(単著) 時事通信社
1995年
『狭山事件 別件取調室の30日間』(単著) 解放出版
1997年
『完本 狭山裁判』(野間宏著)所収、「座談会 狭山裁判と野間宏」(梅沢利彦、針生一郎、庭山英雄、中山武敏、佐藤一) 藤原書店
2006年
『松本清張の陰謀 「日本の黒い霧」に仕組まれたもの』(単著) 草思社
2009年
『新版下山事件全研究』(単著) インパクト出版会
『「下山事件」謀略論の歴史 「原光景」的イメージから「動物化」した謀略論へ』(単著) 彩流社
1951年
松川事件獄内斗争の自己批判 『前衛』56号
壁の沈黙――獄中の記録〔1〕―― 『前衛』61号
壁の沈黙――獄中の記録〔下〕―― 『前衛』62号
1954年
ありがとう! 先生――宇野・広津両氏によせて 『文学の友』1月号、5巻1号
1959年
松川事件の被告たち 『中央公論』10月号、74巻14号   
車中できいた二人の会話 『世界』10月号、166号
1961年
それでもいわなければならない――最後に訴える―― 『世界』7月号、187号   
死刑被告としての十二年 『中央公論』10月号、76巻10号   
感慨――特集・国民と裁判――松川判決をめぐって 『世界』10月号、190号   
真犯人はいる 『月刊総評』10月号、54号
1963年
十四年の想い 『世界』11月号、215号
1968年
廣津先生を想う 『中央公論』11月号、83巻11号   
広津先生と裁判批判 『世界』11月号、276号   
広津先生の強さ 『民主文学』12月号、37号   
検察官は途中で引返せないのか――八海事件の判決をきいて 『世界』12月号、277号
1969年
下山事件に取組む松川事件元被告佐藤一さん/真実は必ず一つ 解きあかすのが私の務め/自殺説に傾く 追い続け五年 毎日新聞、6月12日
新たに第三の人物が登場 『下山事件研究会』佐藤一氏(松川事件元被告)/お笑い!『1201列車』 本人も承知のはずだ…/下山事件論争“謀殺論”は事実無根/苦心の調査を無視 “死後レキ断”断定はできぬ 東京新聞、6月19日
松川事件元被告の下山“自殺説” 『週刊言論』、7月2日号
1976年
随舌 宣伝に非ず 『面白半分』、5月1日号
松川事件元被告・佐藤一氏の執念 「下山総裁は自殺!」1500枚を書き上げた男の25年 『週刊現代』、10月7日号
1977年
松川事件の冒頭陳述 『歴史と人物』1月号、7巻1号   
下山事件を追う松川事件の被告の執念 『中央公論』1月号、92巻1号   
執念で暴いた下山事件の意外な真相 佐藤一氏12年間の追跡 『サンデー毎日』、1月2日号   
松本清張は間違っている 下山事件もうひとつ別の見解 『話の特集』2月号、133号   
対談 真理は行進する 出席者 青地晨氏、佐藤一氏/佐藤一著『下山事件全研究』をめぐって 戦後史にとって下山事件とは何であったか 『図書新聞』2月26日号、1361号   
下山事件と戦後史の陥穽 『流動』8月号
1978年
冤罪をつくった証拠鑑定 『中央公論』5月号、93巻5号
下山国鉄総裁は自殺だった 佐藤一著<下山事件全研究>から 『暮しの手帳』、第49号
講演 下山事件における謀略性 『動く力』第27号、通巻121号
1981年
デッチあげの古畑法医学/東大法医の擁護 映画『日本の熱い日々』の製作が意図するもの 松川事件元被告 佐藤一/反動化に手をかす映画 解放新聞、8月24日
映画「謀殺下山事件」を見て 佐藤一/労働者を欠いた視点 東大・古畑鑑定を鵜呑み 京大新聞、12月1日
1983年
下山事件にみる戦後共産党史 『「赤旗」評論特集版』への反論として(上) 『社会評論』8月号、44号  
下山事件にみる戦後共産党史 『「赤旗」評論特集版』への反論として(下) 『社会評論』11月号、45号
1984年
歴史家よ、事実の隠蔽に荷担するな ふたたび下山事件をめぐって(上) 『社会評論』6月号、48号  
歴史家よ、事実の隠蔽に荷担するな ふたたび下山事件をめぐって(下) 『社会評論』8月号、49号  
「報道と人権問題懇談会」についての報告 『部落解放』9月号、218号
1986年
下山国鉄総裁は自殺だった 38年目の真実(今井太久弥 佐藤一 富山和子 増田滋 座談会) 『中央公論』、4月号
1987年
書評『刑事弁護士―無実への弁論』 『狭山差別裁判』1月号、157号
虚構の判決を糾す 1 『狭山差別裁判』5月号、161号   
虚構の判決を糾す 2 『狭山差別裁判』6月号、162号   
虚構の判決を糾す 3 『狭山差別裁判』7月号、163号   
虚構の判決を糾す 4 『狭山差別裁判』9月号、165号   
虚構の判決を糾す 5 『狭山差別裁判』10月号、166号   
虚構の判決を糾す 6 『狭山差別裁判』11月号、167号   
虚構の判決を糾す 7 『狭山差別裁判』12月号、168号
1988年
虚構の判決を糾す 8 『狭山差別裁判』1月号、169号   
虚構の判決を糾す 9 『狭山差別裁判』2月号、170号   
虚構の判決を糾す 10 『狭山差別裁判』3月号、171号   
虚構の判決を糾す 11 『狭山差別裁判』4月号、172号   
虚構の判決を糾す 12 『狭山差別裁判』6月号、174号   
虚構の判決を糾す 13 『狭山差別裁判』7月号、175号   
虚構の判決を糾す 14 『狭山差別裁判』8月号、176号   
虚構の判決を糾す 15 『狭山差別裁判』9月号、177号   
虚構の判決を糾す 16 『狭山差別裁判』10月号、178号   
虚構の判決を糾す 17 『狭山差別裁判』11月号、179号  
虚構の判決を糾す 18 『狭山差別裁判』12月号、180号
1989年
虚構の判決を糾す 19 『狭山差別裁判』1月号、181号   
虚構の判決を糾す 20 『狭山差別裁判』2月号、182号   
虚構の判決を糾す 21 『狭山差別裁判』3月号、183号   
虚構の判決を糾す 22 『狭山差別裁判』4月号、184号   
虚構の判決を糾す 23 『狭山差別裁判』5月号、185号   
虚構の判決を糾す 24 『狭山差別裁判』6月号、186号   
虚構の判決を糾す 25 『狭山差別裁判』7月号、187号   
虚構の判決を糾す 26 『狭山差別裁判』8月号、188号
1992年
えん罪の責任認めぬ裁判所――松山事件・国家賠償請求棄却判決を批判する 『狭山差別裁判』3月号、218号
1993年
連載再開にあたって 『点と線』のはてに 『狭山差別裁判』7月号、235号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第1回 『狭山差別裁判』8月号、236号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第2回 『狭山差別裁判』9月号、237号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第3回 『狭山差別裁判』10月号、238号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第4回 『狭山差別裁判』11月号、239号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第5回 『狭山差別裁判』12月号、240号   
労働組合は行為主体ではないのか――『検証・占領期の労働運動』について―― 『労働運動研究』7月号、285号
1994年
改めて寺尾判決の責任を問う 第6回 『狭山差別裁判』1月号、241号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第7回 『狭山差別裁判』2月号、242号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第8回 『狭山差別裁判』3月号、243号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第9回 『狭山差別裁判』4月号、244号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第10回 『狭山差別裁判』5月号、245号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第11回 『狭山差別裁判』6月号、246号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第12回 『狭山差別裁判』7月号、247号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第13回 『狭山差別裁判』8月号、248号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第14回 『狭山差別裁判』9月号、249号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第15回 『狭山差別裁判』10月号、250号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第16回 『狭山差別裁判』11月号、251号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第17回 『狭山差別裁判』12月号、252号
1995年
改めて寺尾判決の責任を問う 第18回 『狭山差別裁判』1月号、253号   
狭山再審はどうなっているか 『世界』1月号、603号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第19回 『狭山差別裁判』2月号、254号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第20回 『狭山差別裁判』3月号、255号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第21回 『狭山差別裁判』4月号、256号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第22回 『狭山差別裁判』5月号、257号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第23回 『狭山差別裁判』6月号、258号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第24回 『狭山差別裁判』7月号、259号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第25回 『狭山差別裁判』8月号、260号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第26回 『狭山差別裁判』9月号、261号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第27回 『狭山差別裁判』10月号、262号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第28回 『狭山差別裁判』11月号、263号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第29回 『狭山差別裁判』12月号、264号   
『謀略論』の迷路 『労働運動研究』12月号、314号
1996年
改めて寺尾判決の責任を問う 第30回 『狭山差別裁判』1月号、265号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第31回 『狭山差別裁判』2月号、266号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第32回 『狭山差別裁判』3月号、267号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第33回 『狭山差別裁判』4月号、268号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第34回 『狭山差別裁判』5月号、269号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第35回 『狭山差別裁判』6月号、270号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第36回 『狭山差別裁判』7月号、271号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第37回 『狭山差別裁判』8月号、272号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第38回 『狭山差別裁判』9月号、273号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第39回 『狭山差別裁判』10月号、274号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第40回 『狭山差別裁判』11月号、275号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第41回 『狭山差別裁判』12月号、276号
1997年
改めて寺尾判決の責任を問う 第42回 『狭山差別裁判』1月号、277号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第43回 『狭山差別裁判』2月号、278号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第44回 『狭山差別裁判』3月号、279号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第45回 『狭山差別裁判』4月号、280号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第46回 『狭山差別裁判』5月号、281号   
シリーズインタビュー 「人権」を考える第4回 佐藤一 『狭山差別裁判』6月号、282号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第47回 『狭山差別裁判』7月号、283号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第48回 『狭山差別裁判』8月号、284号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第49回 『狭山差別裁判』9月号、285号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第50回 『狭山差別裁判』10月号、286号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第51回 『狭山差別裁判』11月号、287号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第52回 『狭山差別裁判』12月号、288号
1998年
改めて寺尾判決の責任を問う 第53回 『狭山差別裁判』1月号、289号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第54回 『狭山差別裁判』4月号、292号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第55回 『狭山差別裁判』5月号、293号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第56回 『狭山差別裁判』6月号、294号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第57回 『狭山差別裁判』7月号、295号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第58回 『狭山差別裁判』8月号、296号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第59回 『狭山差別裁判』9月号、297号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第60回 『狭山差別裁判』10月号、298号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第61回 『狭山差別裁判』11月号、299号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第62回 『狭山差別裁判』12月号、300号
1999年
改めて寺尾判決の責任を問う 第63回 『狭山差別裁判』1月号、301号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第64回 『狭山差別裁判』2月号、302号   
労働運動史上の七不思議 『労働運動研究』2月号、364号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第65回 『狭山差別裁判』3月号、303号   
敗戦直後の戦争責任認識 『中央公論』3月号、114巻3号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第66回 『狭山差別裁判』4月号、304号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第67回 『狭山差別裁判』5月号、305号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第68回 『狭山差別裁判』6月号、306号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第69回 『狭山差別裁判』7月号、307号   
労働運動史上の七不思議(続)「九月革命説」をめぐって 『労働運動研究』7月号、357号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第70回 『狭山差別裁判』9月号、309号   
座談会 戦後ジャーナリズムの検証(2)下山・三鷹・松川事件50年、レッドパージ、講和条約(古関彰一、佐藤一、前坂俊之) 『マスコミ市民』9月号、369号   
座談会 占領下労働運動をどう見るか――戦後労働運動史研究会(遠藤公嗣、岡部史信、佐藤一他) 『世界』9月号、665号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第71回 『狭山差別裁判』10月号、310号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第72回 『狭山差別裁判』11月号、311号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第73回 『狭山差別裁判』12月号、312号
2000年
改めて寺尾判決の責任を問う 第74回 『狭山差別裁判』1月号、313号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第75回 『狭山差別裁判』2月号、314号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第76回 『狭山差別裁判』3月号、315号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第77回 『狭山差別裁判』4月号、316号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第78回 『狭山差別裁判』5月号、317号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第79回 『狭山差別裁判』6月号、318号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第80回 『狭山差別裁判』7月号、319号   
片島紀男著『三鷹事件』の問題点(上) 『労働運動研究』7月号、369号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第81回 『狭山差別裁判』8月号、320号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第82回 『狭山差別裁判』9月号、321号   
片島紀男著『三鷹事件』の問題点(下) 『労働運動研究』9月号、371号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第83回 『狭山差別裁判』10月号、322号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第84回 『狭山差別裁判』11月号、323号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第85回 『狭山差別裁判』12月号、324号
2001年
改めて寺尾判決の責任を問う 第86回 『狭山差別裁判』1月号、325号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第87回 『狭山差別裁判』2月号、326号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第88回 『狭山差別裁判』3月号、327号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第89回 『狭山差別裁判』4月号、328号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第90回 『狭山差別裁判』5月号、329号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第91回 『狭山差別裁判』6月号、330号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第92回 『狭山差別裁判』7月号、331号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第93回 『狭山差別裁判』8月号、332号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第94回 『狭山差別裁判』9月号、333号   
国鉄組合員は負の遺産を清算すべきだ――どうして現在の苦境に陥ったのか―― 『労働運動研究』9月号、383号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第95回 『狭山差別裁判』10月号、334号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第96回 『狭山差別裁判』11月号、335号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第97回 『狭山差別裁判』12月号、336号
2002年
改めて寺尾判決の責任を問う 第98回 『狭山差別裁判』1月号、337号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第99回 『狭山差別裁判』2月号、338号   
労働運動史上の七不思議(続々) 『労働運動研究』2月号、364号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第100回 『狭山差別裁判』4月号、340号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第101回 『狭山差別裁判』5月号、341号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第102回 『狭山差別裁判』6月号、342号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第103回 『狭山差別裁判』7月号、343号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第104回 『狭山差別裁判』8月号、344号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第105回 『狭山差別裁判』9月号、345号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第106回 『狭山差別裁判』10月号、346号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第107回 『狭山差別裁判』11月号、347号   
〈研究ノート〉労働運動の真実を求めて(1) 四単産批判など――海員組合副会長和田春生氏に聴く―― 竹前栄治、佐藤一、三宅明正、遠藤公嗣、岡部史信 『現代法学』11月号、4号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第108回 『狭山差別裁判』12月号、348号
2003年
改めて寺尾判決の責任を問う 第109回 『狭山差別裁判』1月号、349号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第110回 『狭山差別裁判』2月号、350号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第111回 『狭山差別裁判』3月号、351号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第112回 『狭山差別裁判』4月号、352号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第113回 『狭山差別裁判』5月号、353号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第114回 『狭山差別裁判』6月号、354号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第115回 『狭山差別裁判』7月号、355号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第116回 『狭山差別裁判』8月号、356号   
変わったことより変わらないものが問題(上) ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』を考える 『労働運動研究』8月号、389号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第117回 『狭山差別裁判』9月号、357号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第118回 『狭山差別裁判』10月号、358号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第119回 『狭山差別裁判』11月号、359号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第120回 『狭山差別裁判』12月号、360号   
変わったことより変わらないものが問題(中) ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』を考える 『労働運動研究』12月号、390号   
〈研究ノート〉労働運動の真実を求めて(2) 近江絹糸人権ストなど――全繊同盟会長滝田実氏に聴く―― 竹前栄治、佐藤一、三宅明正、遠藤公嗣、岡部史信 『東京経大学学会誌』233号   
〈研究ノート〉労働運動の真実を求めて(3) 新産別と総評など――新産別政治部長三戸信人氏に聴く―― 竹前栄治、佐藤一、三宅明正、遠藤公嗣、岡部史信 『人文自然科学論集』115号
2004年
戦後労働運動の真実を求めて(4) 労闘ストなど――炭労委員長原茂氏に聴く―― 原茂、竹前栄治、佐藤一 他 『現代法学』6号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第121回 『狭山差別裁判』1月号、361号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第122回 『狭山差別裁判』2月号、362号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第123回 『狭山差別裁判』3月号、363号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第124回 『狭山差別裁判』4月号、364号   
変わったことより変わらないものが問題(下) ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』を考える 『労働運動研究』4月号、391号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第125回 『狭山差別裁判』5月号、365号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第126回 『狭山差別裁判』6月号、366号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第127回 『狭山差別裁判』7月号、367号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第128回 『狭山差別裁判』8月号、368号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第129回 『狭山差別裁判』9月号、369号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第130回 『狭山差別裁判』10月号、370号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第131回 『狭山差別裁判』11月号、371号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第132回 『狭山差別裁判』12月号、372号
2005年
改めて寺尾判決の責任を問う 第133回 『狭山差別裁判』1月号、373号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第134回 『狭山差別裁判』2月号、374号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第135回 『狭山差別裁判』3月号、375号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第136回 『狭山差別裁判』5月号、377号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第137回 『狭山差別裁判』6月号、378号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第138回 『狭山差別裁判』7月号、379号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第139回 『狭山差別裁判』8月号、380号   
“逆コース”という神話――松本清張『日本の黒い霧』と占領史観の問題 『環』22号、夏   
改めて寺尾判決の責任を問う 第140回 『狭山差別裁判』9月号、381号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第141回 『狭山差別裁判』10月号、382号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第142回 『狭山差別裁判』11月号、383号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第143回 『狭山差別裁判』12月号、384号
2006年
改めて寺尾判決の責任を問う 第144回 『狭山差別裁判』1月号、385号   
改めて寺尾判決の責任を問う 第145回 『狭山差別裁判』2月号、386号
2007年
晴天に「黒い霧」を懸けることができるか(上) 『労働運動研究』4月号、400号   
晴天に「黒い霧」を懸けることができるか(下) 『労働運動研究』8月号、401号
2008年
インタビュー 権力にでって上げられた死刑判決を二度受けた男が追求した真実――松川事件・下山事件をめぐって 佐藤一 (聞き手:天野恵一、水島たかし) 『季刊 運動〈経験〉』25号

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