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末広旅館と当時のマスコミ(1)

末広旅館の主人NKさんは元警察関係者(特高)という経歴から、旅館で休憩した紳士についての情報を積極的に警察に提供しましたが、それが災いしてか、「A新聞」の記者によって「末広旅館のおやじは共産党員で、党の命令で下山さんらしい人が泊まったと届け出た」という噂を広められました(『下山事件全研究』p61、『生体れき断』p93-94)。当時の社会情勢を考えると、かなり悪質な噂といえるでしょう。警察にその件について調べられたそうですが、実際には彼は共産党員ではありませんでした。しかしこれだけでは終わらず、次は旅館の宣伝のために警察に嘘の届出をしたのではないかという風評が広まりました。

更に悪いことに、末広旅館叩きは五反野周辺にとどまらず、当時他殺説を展開していた大新聞紙上でもおこなわれていました。そういった新聞として真っ先に挙げられるのは朝日でしょう。以下に昭和24年8月20日付の朝日新聞「三鷹・下山事件をめぐって」という記者座談会形式の記事の一部を引用します(『下山事件全研究』p136-138にもこの記事は引用されているので読むことができます。なお『全研究』で7月20日とあるのは、8月20日の間違いです)。

朝日の記者座談会記事

この記事を書いた朝日の記者や担当デスクは一体なんのために貴重な紙面(当時は基本的に1日2面、多くて1日たった4面で、しかも夕刊はなく朝刊のみ)を割いて、わざわざ「一躍有名になった末広旅館は商売繁盛」とか「あそこのオカミは抜け目がない」といった事件とは直接関係のないことや、「手のつけようがない」と目撃証言者を冷やかし馬鹿にするような文章を書いたのか、管理人としては理解に苦しみます。自らの主張にそぐわない証言をする者は一般市民といえども叩くという方針だったのでしょうか。内容だけ見れば一流紙の記事とは到底思えません。

この記事の見出し部分には、堀崎捜査一課長、仙洞田刑事部長、田中検事、秋谷東大教授といった地位の極めて高い公人たちとともに、末広旅館の女将NFさんの顔写真が並べられています。目撃者であり一般市民であるNFさんに記事で難癖をつけ、その人格や職業を貶めているという文脈のなかで顔を世間に広く晒すというのは、「都合の悪いことをしゃべればこういう目にあうのだ」という見せしめ以外のなにものでもないでしょう。末広旅館は下山事件を境に商売上がったりの状態に追い込まれてしまいましたが(『下山事件全研究』p107、『生体れき断』p93-95)、そうさせた主な要因はマスコミ報道だったといって間違いありません。誰もが他殺を直感するような社会情勢のなか、こういった記事が許される雰囲気が新聞社にも大衆にもあったのかもしれませんが、全国紙に書きたてられている末広旅館関係者にとっては恐ろしいことだったに違いありません。結局ペンの暴力の前に彼らは泣き寝入りするしかなかったのです。

末広旅館
『「毎日」の3世紀』(毎日新聞社)より。

末広旅館
末広旅館入り口。宮城音弥・宮城二三子著『下山総裁怪死事件』p48より。

関連項目

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