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五反野轢断現場周辺の目撃者証言

「三越から浅草駅間の目撃者証言」から引き続き、主に「下山白書」と『生体れき断』から目撃者の証言を引用しつつ(一部、関口由三氏著『真実を追う』より引用しています)、五反野周辺の「下山氏に似た紳士」の足取りを地図上に辿ってみたいと思います。赤い丸でプロットした目撃者の位置については、『下山事件全研究』、『生体れき断』、『真実を追う』および昭和24年7月31日付の読売新聞を参考にしています。下山氏らしき紳士を間近で目撃している場合も、やや離れた所から目撃している場合もありますのでご注意ください。NYさん(図中番号15)は荒川方水路を越えた北千住駅に近い地点で目撃されていますが、当時は鉄橋を歩いて渡ることができたため不自然とはいえません。

警察は目撃者に下山氏の写真を複数見せたと思われますが、そのうちの一枚に下の写真があります。それは、「東京駅のホームで吉田首相などと七〜八人がいっしょに写っているもので、あまり鮮明ではない。しかも下山総裁は斜背後から写されているので、人相のわからないものであった」(『生体れき断』p90)ということですが、これを見て全ての目撃者が下山氏を正しく指摘できたということは、7月5日に五反野を徘徊した紳士が誰であったにせよ、背丈、姿勢、雰囲気も下山氏に非常によく似ていたということでしょう。

下山総裁の写真
捜査に使われた下山総裁の写真。平正一氏著『生体れき断』p92より。

轢断現場
上空から見た轢断現場。堂場肇著『下山事件の謎を解く』より。

五反野での目撃証言1
轢断現場周辺の目撃証言とその位置(1)

五反野での目撃証言2
轢断現場周辺の目撃証言とその位置(2)

HYさん(男性、20歳) 13時45分頃五反野駅改札で目撃図中番号1

私は東武鉄道の五反野駅に勤務しております。七月五日は私の勤務日で精算係をして居り、午後一時四十三分着の浅草発大師前行電車が到着したので改札口に居りましたら下車客は二十人位で、其の中頃に一人の男が私に切符を渡してから、「此の辺に旅館はないですか」と尋ねられた。御客の切符を全部受取てから其の男に私は駅を出て以前から知って居る末広旅館を教えてやりました。其の男は背の大きい四十歳から五十歳の間の年で白ワイシャツに茶のさめた様な背広上下を着た男で他に細い点は記憶して居りません。其の人が末広旅館に行ったと思いますが、果して下山さんかどうかは断定できません。(以上「下山白書」)

五日は私は日勤の日で、午前九時ごろから精算係をしておりました。午後一時四十三分着の下り電車がはいって来たとき、改札係のKY君が昼食をとっていましたので、私が改札口に行って集札をしました。二〇人くらいの客が降りましたが、そのなかほどにいた背の高い客が、切符を渡してそとに出てから「このあたりに旅館はありませんか」と聞きました。私は「ちょっと待って下さい」といって、全部の集札が終ってから「駅を出て、左の方に五、六間行くと川があります。そのたもとに末広旅館と書いてあります。」と教えてやりました。その人は「どうもありがとう」といって、教えた方に歩いて行きました。その人は背の高い、四〇歳から五〇歳くらいでしたが、顔の形や、眼鏡をかけていたかどうかはよく覚えていません。洋服は、茶色の少しさめたもののように感じましたが、はっきりいたしません。ワイシャツは真っ白のものを着ていました。帽子はかぶっていなかったと思いますが、お礼をいわれたときぬがれたのかもしれません。靴に見覚えはありません。荷物は何も持っていなかったと思います。誰も連れの人はありませんでした。それから八日になって毎日新聞を見ると、末広旅館に下山総裁に似た人が休んで行ったと書いてありましたので、これはテッキリ私が宿を教えた人が、下山総裁だったに違いないと思って、助役さんまで報告しておきました。(以上『生体れき断』)

HYさん目撃現場
HYさん目撃現場。平正一氏著『生体れき断』p87より。

NFさん(女性、46歳) 14時00分頃〜17時30分頃末広旅館で目撃図中番号2

七月五日午後二時頃にお客さんらしい人が見えて三男Mが言うので出て見ると上品な男が玄関に立って居た。「六時頃迄休ませてくれ」と言うので主人に聞いて二階四畳半に案内して窓を開けると窓に腰かけて「涼しいですねー。水を一杯下さい」と言い、此の時靴下をよく見ながら下に降りて茶を持って上り宿帳に記入方を申出ると「それは勘弁して呉れ」と言うので其の儘一番良い布団を持って上って下に降りた。夫れで五時二十分頃に手が鳴るので私が行くと支度をして階下八畳間に来て立っていて、黒革財布から二百円とチップを百円出して(何れも古い百円札)渡し、玄関で靴の紐を結ぶ様にかがんでから午後五時三十分頃立去った。其の男の人相着衣を申上ると丈五尺七寸位、色白面長ふくらみのある顔で眉毛の間が普通の人より空いていてロイドの眼鏡をかけ髪七・三に分けて居り上品な優しい顔でした。それで無帽で鼠色背広、白ワイシャツ、ネクタイをしてチョコレート色ヒダの在る進駐軍様の靴、柑木綿の靴下、黒革財布、眼鏡、荷物はなく単独で、酷似するので七日に西新井署に申出る。(以上「下山白書」)

午後二時ごろでした。四男のMが「お客さん」というので玄関に出てみると、お上品な紳士の方が立っておられました。「六時ごろまで休ませて下さい」とおっしゃいましたので、主人にも相談しまして、二階の四畳半のお部屋に案内しました。其の方は、出窓に腰をおろして「風通しのいい部屋ですね。水を一ぱいくれませんか」といわれますので、水とお茶を持ってまいりました。ついでに宿泊人カードを出しますと「それは勘弁して下さい」と押し返されました。その時、組み合わせられた足がすぐ目の前にありましたので、靴下をはっきり覚えておりますが、紺色無地の靴下でございました。それから階下から、一番上等のふとんを持って上がり、床をのべながら「おつれさまがおみえでしょうか」と伺いましたところ「誰も来ませんよ。私のような年寄りでも、同伴の人がありますか」と笑っておいででした。「お一人の方は珍しいですよ」と申しますと「どこかに女の子でもいるのですか」と笑われて、サッサと上衣をおぬぎになりましたので、私は下に降りました。チョッキは召さず、真っ白のワイシャツを着ておられました。五時半ごろと思いますが、二階でお手がなるので、立ちかけると、その方はドンドン二階から降りて来られまして、明けひろげた八畳の間に立っておられました。「おいくら」と聞かれますので、「二〇〇円いただきます」と答えますと、一〇〇円札を三枚下さいました。その方は五尺七寸(約一七三センチ)くらい、五〇歳くらいとお見うけしました。ロイド眼鏡のようなものをかけておられました。色はどちらかといえば白い方でしょう。少しふくらみのあるお顔のように思いました。眉の間が広くあいている感じでした。お洋服はねずみ色上下のおそろいで、靴は爪先の方にぬいとりのある、チョコレート色の新しいものでございました。靴をおはきになる時には、玄関に腰をおろされて、ヒモをしっかり結んで、別にお急ぎになる様子もなく、ゆっくり出て行かれました。(以上『生体れき断』)(※管理人注 息子のMさんが三男なのか四男なのかについて「下山白書」と違いがあります。平正一氏は、わざわざ著書でMさんが四男だと注釈で述べているので(p95)、三男ではなく四男なのだと思われます。)

NFさん目撃現場
NFさん目撃現場。平正一氏著『生体れき断』p89より。

NFさん目撃現場
NFさん目撃現場。平正一氏著『生体れき断』p90より。

WSさん(男性、36歳) 18時00〜35分頃ガード近くで目撃図中番号3aおよび3b

七月五日電休日で午後六時頃に長男I五歳を連れて下山さんが死んだガード附近に海老蟹取りに出かけ、最初は常磐線のガード手前の沼で取って居りますと、ガードの処にダンダラ坂を独りで立派な紳士が降りて来まして私と一間離れて道を常磐線の土手下の「ドブ」にそって五十米位先に行ったと思うと又引返して来て、今度は東武線の土手にそって火の見の方に歩いていった。其の内義妹FNと長女WC(8歳)が来たので今度はガードを潜って現場左下の鉄柱脇のドブで蟹を取って居ると、東武の土手下の道をトンネルの方から前に見かけた男が歩いて来てポケットに手を入れたので煙草でも喫うのかと思って居ると鉄柱の処に立止って線路の方を見ていた。それで其の人の前を通って家に帰ったら七時のニュースをやって居た。其の男の人相年齢五十歳位、丈五尺六、七寸位、顔は夏蜜柑の様な肌で桜色で面長で肥った顔形、眉毛は太くて下がっていて髪毛下の方は白毛が有って七・三に分け飴色の眼鏡をかけていた。着衣は無帽で白ッポイ背広、縞入白ワイシャツに手織の金糸が這入ったネクタイにチョコレート色で先に太い筋の入った短靴、肥った肩で丸感じの人、手荷物も無く単独で有った。下山さんの写真を見て総裁に違いないと届出た。(以上「下山白書」)

その日は休電日で勤め先の会社が休みでしたから、五時すぎから長男のI(5)をつれて、エビガニをとりに出かけました。六時ごろ東武線の西側の沼でエビガニを探していると、一人の紳士が常磐線のガケを降りて来て、私の一間ばかり前を通り、常磐線にそって行きましたが、五〇メートルあまり行くとすぐ引きかえして、消防小屋の方に歩いていきました。そのうちに、義妹のFNが長女のWCを連れて来ましたので、こんどはガードをくぐって、あとで下山さんが亡くなられた常磐線のガケ下に行ってカニを探しました。すると、さきほどの紳士がまたトンネルの方から歩いて来て、鉄柱のところで立ちどまって、両手をズボンのポケットに入れて、常磐線の線路の方を見ていました。しばらくすると、たばこを出して、掌で風をよけるようにしながら火をつけました。マッチだったか、ライターだったのかは気がつきませんでした。そこに一たん網をとりに帰ったFNが「夕飯」といって来たので、その紳士の前を通って帰りました。家に着いたら、ラジオの「向う三軒両隣り」(六・四七〜七・〇〇)が終わって、ニュースの時間となりましたから、ちょうど七時でした。私がその紳士を見たのは東武線の西側で往復の二回と、東側で一回、つごう三度見たことになります。その人は五〇歳くらい。五尺六〜七寸で、ネズミ色に立縞のある服を着ていました。帽子はかぶっていませんでした。靴はチョコレート色の赤みがかったもので、先の方にみみずのようなヒダがありました。眼鏡はアメ色のふちだったと思います。髪は七三に分けていましたが、あまり長くはなかったと思います。体格はガッチリした感じ、ネクタイに金が銀糸のようなものがはいっていました。夜九時のニュースで下山総裁が行方不明と放送しているのをNが聞いて「夕方ぼんやり立っていた人かもしれないよ」といいますので、私もそうかもしれないと思いました。翌朝は五時半ごろ起きましたが、Nは先に起きていて、きのうの人の話をしました。しばらくすると、ラジオのニュースが始まって、下山さんが綾瀬の近くでひかれていた、というような放送をしましたので、テッキリきのうの人は下山さんにちがいなかったと思い、さっそく千住新橋の交番にお届けしました。(以上『生体れき断』)

WSさん目撃現場
WSさん目撃現場。平正一氏著『生体れき断』p102より。

WSさん証言
WSさん目撃証言。関口由三氏著『真実を追う』p111より。

NMさん(男性、38歳) 18時10分頃東武線トンネル付近で目撃図中番号4

私は会社から帰って来てから五日午後六時十分頃に養女A九歳を連れて五反野南町の昭和湯に行こうと思って東武のトンネル附近に差掛ると土手下の畔道から立派な紳士が出て来て其のトンネル内に這入って行くので私は変な人だと思い乍ら其の後を追って行き乍ら見ると立派な靴を履いているなあーと思い乍らトンネルを抜けようとした時其の男はトンネルの出口で足踏状態になって考え事をして居る様に直感致しました。それで其の男を追越しながら顔を見ると睨む様に私を見返した。其の男の人相着衣は年齢五十歳位、丈五尺五、六寸、顔浅黒く油ぎっていて眉毛は濃くロイド眼鏡を掛け、髪の点は記憶が有りません。体格良く薄鼠色に縦縞のある服に白ワイシャツ無帽で進駐軍のチョコレート色ヒダの在る短靴、持物は無く単独であった。以上の事を確認して居ります。翌朝轢死の話を聞いて私の直感で作夜トンネル附近でブラブラして居た男ではないかと思って新聞の写真を見て或いは下山さんではないかと思いました。(以上「下山白書」)

五日、私は午後五時四十五分綾瀬着の電車で帰宅しました。すぐ着がえをして、養女のA(9)をつれて銭湯(昭和湯)に出かけました。東武線のトンネルの入口で、東武線のガケ下の畦道から出て来た上品な紳士に出会いました。こんな立派な紳士が、こんなところに何の用があるのだろうと思いながら道をゆずりました。紳士はトンネルをくぐって行きますので、私も子供をつれてそのあとから歩きました。その方がチョコレート色の立派な靴をはいていたのをよく覚えています。その人はトンネルを抜けきったところで立ちどまって、何ごとか、ちょっと考えている様子でした。私がもう一〜二歩で追越そうとするところまで接近すると、驚いたように急にふり向いて、にらむような目つきで私を見ました。すれちがったとき、前方に自動車の音がしましたので、子供の手をとろうとふりかえったら、その人はいま来たばかりの道をトンネルの方にフラフラと引きかえして行くところでした。自動車は小型で、私たちの横を徐行しながら通りすぎました。年齢は五〇歳くらい。身長は五尺六〜七寸、顔色は油ぎった浅黒い感じでした。目は大きな方ではないかと思います。眉毛が濃く、髪は伸ばしていたと思いますが、分けていたのか、バックにしていたのかは覚えがありません。黒縁に、何か点々のあるような感じの眼鏡をかけていたように思います。洋服は薄ネズミ色、色のうすい立縞があったように思います。靴の爪先の方に馬蹄型のヒダがついていたのをはっきり覚えています。何も所持品はありませんでした。六日の朝目をさますと、近所がさわがしいので、隣りの人にきくと、下山総裁がガード下でれき死しているというのでビックリしました。そして、きのう会った人が下山さんではなかったかという気が強くいたしました。当時家のラジオは故障で聞けなかったので、新聞の来るのを待っていました。朝日新聞をとっていますが、六日に掲載されていた写真はあまり似ていません。それでも人相書きにはすっかり一致するので、下山さんにちがいあるまいと思いました。あの人が下山さんに全く相違ないと思ったのは、警視庁でたくさんの下山さんの写真を見、靴の写真を見たからです。したがって六日の朝は、家内には下山さんにちがいあるまいと話しましたが、新聞の写真とは違うような気もしますので、警察は届け出ませんでした。(以上『生体れき断』)

NMさん目撃現場
NMさん目撃現場。(左写真)平正一氏著『生体れき断』p100より。(右下)関口由三氏著『真実を追う』p116より。

MSさん(女性、40歳) 18時10〜15分頃自宅近くで目撃図中番号5

東武線のガケ下で主人と畑の手入れ仕事をしていました。六時十分ごろと思いますが、ひょいと見ると、下山さんがひかれたガードの下の方から、洋服を着た男の方が降りて来られて、私のすぐ脇を通ってトンネルの方に歩いて行かれました。そのときは別に気にもとめませんでしたが、五〜六分たつと、その方がまたあと返りしてみえましたので、何をしているんだろうとふしぎに思いました。ネズミ色の洋服を着た、五尺六〜七寸くらいの方で、デップリ太った感じでした。色は白いように思いました。額が広くて、髪は七三に分けておられたように思います。眼鏡をかけていたかどうかは覚えません。歩かれるのを横から見ましたが、少し猫背のような格好でした。(以上『生体れき断』。「下山白書」についてはMSさんについて独立した項はないので、夫のMTさんの記述をご参照ください。)

MTさん(男性、45歳) 18時10〜15分頃自宅近くで目撃図中番号6

七月五日午後六時十分頃に夫婦で畑の手入れをしていた。妻MSが目撃した話では午後六時頃に畑の草取りをしていたら、下山さんが轢かれた現場の方から男が歩いて私の脇を通り過ぎ、それから又暫くして其の道を引返して来て其の後姿を見ると先程の男だと確認した。夫MTも其の畑に下肥をやっていた折り午後六時十五分頃東武線のトンネル脇の土手下の細い道を私の家の西脇を通って今度事件のあった現場の方に独りでトボトボ歩いて居たので其の姿を見て居ると柳の木が二本在る処で立止って東の方を見て居た。その男の人相着衣は年齢四十歳前後、丈五尺六、七寸、デップリ太った顔で色白で額は広い、髪毛は黒くて七・三に分けていて眼鏡に記憶は有りません。着衣は鼠色の洋服であったが靴其他に記憶ありません。妻は其の男を接近して見て居るが、夫MTは三十米位離れた場所から目撃している。翌日朝、新聞で下山総裁の事件が判り或いは昨夕方畑の脇を往復した人が下山さんではないかと夫婦で話したのである。(以上「下山白書」)

私は家内から二〜三〇メートル離れたところで、下肥をやっておりました。ガード下から降りて来られたのには気がつきませんでしたが、トンネルの方からブラブラ常磐線の方に行かれるのを見ました。その方は柳の木が二本あるところに立ちどまって、しばらく東の方を見ていました。私は小便でもしていのかと思いましたが、たしかなことはわかりません。翌日新聞を見て、あの方が下山さんだったにちがいないだろうと、家内で話し合いました。家内は近くで見ていますので、新聞の写真を見て、この人に違いないとはっきりいっています。(以上『生体れき断』)

FNさん(女性、15歳) 18時35分頃ガード近くで目撃図中番号7

FN当十五歳は七月五日午後六時二十分頃にWS兄さんが子供を連れてガード附近に海老蟹取りに行って居るから夕食になるので呼んで来て呉れと姉に頼まれたので行って見るとガードの手前のドブで蟹を取って居たので、四人でガードを潜って線路の処を左下に降りて鉄柱の建って居る附近で蟹を取って居た。それで私がフト見上げると此の辺では見かけた事のない立派な人が鉄柱の処に立ってボンヤリして考え事をして居るようでした。それで悲しそうな表情で線路の方を見て居た。私は変な人だなーあと思っている内に兄が帰ろうと言出して四人で家に帰りました時に午後六時五十分頃だったと思います。其の人の人相は年齢五十歳位、丈は高い、優しそうな社長さんの様な方でした。眼鏡はかけて髪は分けて居り無帽で鼠色の洋服を着て白ワイシャツでしたがネクタイや靴は気が付きませんでした。それで其の方は独りで何も所持して居りませんでした。(以上「下山白書」)

私はいちど家に網をとりに帰り、また引き返して来て、鉄柱のところで子供たちとバケツの中のエビガニを見ていました。ひょいとうしろを見ると、一メートルくらい離れたところで、立派な服装をした男の人が立っていて、ぼんやりと考えごとをしている様子で、悲しそうな顔で、線路の方を見ていました、顔は夏蜜柑のような感じでした。背の高い、社長さんのような方で、眼鏡をかけていました。帽子はかぶってはいませんでした。髪は分けていました。洋服は立縞のあるネズミ色です。靴や、ネクタイには気がつきませんでした。翌朝早くWCが新聞を見て「きのうのおじさんがいるよ」というので、私も見ましたが、よく似ていました。警視庁で見せてもらった写真は、頭から足までそっくりでした。(以上『生体れき断』)

WCさん(女性、8歳) 18時35分頃ガード近くで目撃図中番号8

WSさんおよびFNさんの項をご覧ください。

YTさん(女性、43歳) 18時40分頃常磐線沿いで目撃図中番号9

私は七月五日に実妹の家に用達に行き午後六時三十分頃に家に帰る途中、近道をするため常磐線線路に入って下り坂をガードの方に向って歩いて来ましたら、砂利置場の四角な木の「かこい」のある処迄来るとガードの方を汽車が来ると危いと思って見ると、ガードの手前は東武の堤の下に鉄柱が有って其の脇に畑があり小豆と「もろこし」が作ってありそこに一人の紳士が立って居るのに気がつきました。こんな夕方あんな人は百姓をしているのはおかしいので、私はヂット其の人の方を見て居りましたら其の人も見ていたが私が動かないで見て居るのを気まづくなったのか下向にかがんで「草の葉」を取っていじって居りました。私は尚見て居りましたが其の人が歩き出して線路を登ってガードを潜って行きましたので、私は三間位離れて後を歩いて行きましたら、其の人はダラダラ坂を考え事でもして居る様な格好で下って火の見の方へブラブラ歩いて行きました。其の人の人相は年齢四十六、七歳位、丈は高い方で色白で鼻が高く肥った顔で眼鏡はかけて居たかどうか記憶が有りません。夫れで無帽で鼠色の洋服にチョコレート色の上等の靴で上品なんでありましたので或いは下山さんではないかと私の方から駐在所に届出たので有ります。(以上「下山白書」)

妹の家を出たのは六時半でした。近道をしようと思って線路づたいに帰りましたから、ガード下近くに来たのは六時四十分ごろと思います。下り電車が来たら危ないと思いながら、線路わきを歩いていますと、東武線と常磐線の交差点のガケ下に、洋服を着た人がボンヤリ立っていました。そこは小豆と、とうもろこしを作ってある小さな畑ですが、洋服を着て百姓仕事をするのはおかしいと思って、立ちどまって見ました。その人も私に気がついたらしく、ジッと見ていましたが、気まずくなったのか、しゃがみこんで草の葉をちぎっていました。私は少し気味悪くも感じましたので、立ちどまったままじっと立っていました。すると、その人はやっと立ち上がって常磐線の土手を上り、私の方とは反対に東武線のガードをくぐって行きました。私は三間ばかりはなれてあとをついて行きましたが、何か考えごとでもしているような様子で、両手をズボンのポケットに入れて、ブラブラと右の方に土手を降りて、火の見やぐらの方に行きました。年は四五〜六歳ぐらいで、上品な人でした。色はどちらかといえば白い方ではないでしょうか。背は高く、鼻も高い方でした。うすいネズミ色の洋服に、チョコレート色の上等の靴をはいておられました。眼鏡はかけておられなかったような気がします。(以上『生体れき断』)

YTさん目撃現場
YTさん目撃現場。平正一氏著『生体れき断』p104より。

TIさん(男性、37歳) 18時50分頃常磐線沿いで目撃図中番号10

七月五日午後六時四十分頃に東武線に沿って消防小屋の方から常磐線の現場手前のガードの処に来ると千住方面からガードの方へ線路の枕木の上をブラブラ歩いて来る男と一緒になった。其の男は年齢五十歳位、丈五尺六、七寸、頭髪は七・三に分け眼鏡はかけて居りません。額は広く角顔で鼠色の身体に合った洋服を着て居たが、靴は記憶に有りません。其の男は電車のくる方向に背を向けて歩いて居たので随分命しらずの者だと思った。(以上「下山白書」)

五日は勤め先の港区役所赤坂支所の給料日で、五時に支社を出て、都電を千住車庫前で降り、そこから第五小学校の前を通り消防小屋のところを曲って常磐線を越えて帰りました。常磐線の土手を登ったとき、北千住の方から枕木をひろうように、ブラブラやって来る人に行きあいました。あのあたりは非常に危ないところで、死人もたくさんでているところですから、このあたりでは線路の中を歩くような人はおりません。その人は電車に背を向けて歩いて来るので、変な人だと思いながら、その人をやりすごしてから線路を踏みきって帰りました。その人は四五〜六歳くらいで、背は五尺六寸くらいと思いました。少しおでこのような感じでした。眼鏡はかけていなかったと思います。帽子もかぶっていません。つれの人もありませんでした。(以上『生体れき断』)

FFさん(女性、51歳) 18時58分頃常磐線沿いで目撃図中番号11

七月五日午後六時三十分頃に犬を連れて散歩に出かけた処、東武と常磐の交叉するガードの処で犬が小便したので立止って線路を見ると、常磐線線路の中をブラブラ酒を呑めない人が呑んで気持の悪い時の様な格好でキョロキョロ左右を見ながら千住の方から歩いて居たので、「危ないなあー」と思って居ると下り貨物が通った(午後六時五十八分)。私はハッとして見ると其の人はガードから二本目の電柱に寄りかかって避けて居た。其の人の人相は丈五尺八寸位、顔は面長眼鏡は無く体格は良かった。着衣は鼠色の洋服に白のワイシャツ、頭髪は分けて居た様に記憶して居る。(以上「下山白書」)

私は六時半ごろから犬をつれて散歩に出かけました。南町駐在所前から、消防小屋の前を通って、東武線と常磐線の交差点の西側に出たとき、犬が小便をしましたので立ちどまっていました。ふと常磐線の方を見ますと、北千住の方から下り線路の中をフラフラしながら、お酒をのめない人が、無理に飲んで気分が悪いような格好で歩いてくる人を見ました。あぶないことをする人だと思っているところに、下り貨物列車がやって来たので、ハッとして見ますと、その人は、ガードから二本目の電柱によりかかって、やっと難をさけていました。背は五尺八寸くらいあったと思います。体格のいい方でした。面高の顔の人のように思います。お洋服はネズミ色で、白いワイシャツを着ておられました。髪は分けておられたと思いますが、はっきりいたしません。眼鏡はかけていなかったと思います。(以上『生体れき断』)

FF、TI、KSさん目撃現場
FF、TI、KSさん目撃現場。平正一氏著『生体れき断』p104より。

FFさん目撃現場
FFさん目撃現場。佐藤一氏著『下山事件全研究』p45より。

KSさん(男性、20歳) 18時58分頃常磐線沿いの自宅縁側から目撃図中番号12

KSさんは七月五日午後六時十分ごろ帰宅し、しばらくして風呂に行こうと、家の中からよく見える東武ガードのほうを見ると、ガード近くにある二本目の鉄柱のあるところの常磐線の線路の中に、このへんでは見なれぬりっぱな紳士が立っているのを、二〇メートルほどしか離れぬ自宅から目撃している。六日朝、ニュースで、ガードのところで下山さんが轢かれて死んだと聞いて、あの立っていた人がきっと下山さんだったろうと兄に話したという。(以上『真実を追う』。KSさんについては「下山白書」には記述がないので、関口由三氏の著書から引用しました。また、KSさんの記憶では帰宅したのは18時過ぎだということですが、電車通過時間がはっきりしているので目撃時間は18時58分頃としました。)

この時通り過ぎた貨物列車は六時五十八分現場通過の八八九列車であるから、時間的には、もっともはっきりしている。また、この時TIさんが線路を越えて行き、紳士があやうく貨物列車をさけて電柱によりかかったこと、FFさんが犬をつれて歩いているのを、線路わきの同町○○○○番地のKS君(20)が自宅の縁側から見ていたこともわかった。(以上『生体れき断』。上記の説明は、FFさんの目撃証言内容に続いて平正一氏が記述したものです。)

NHさん(女性、33歳) 20時50分〜56分頃五反野踏切付近で目撃図中番号13aおよび13b

私は七月五日松戸駅から電車で綾瀬駅に午後八時三十分頃下車して伊藤谷駐在所の前を通って橋のある処で五十歳位の年配の男がブラブラ歩いて来るのを見かけました。其の頃は薄暗くなって女一人では気味が悪いので少し遅く歩いて居ると、其の男も私の行こうとする道の踏切の方に曲ってブラブラ歩いて行くので私も仕方が無く少し後から其の後を行くと、其の踏切の方から一人の男が来て又其の後を男が来ましたが会社から帰りらしく、其の人達と先の人を追抜いて踏切を渡ると綾瀬駅の方から汽車(客車)の上りが来て踏切の処で下の電車とすれ違いになりました。其の踏切で、兼ねて知って居るMの娘(※管理人注 別の目撃者MKさんのこと)に会ってから変な男はどうしたかなあと思って見ると矢張り踏切を渡ってからヂーッと電車を見つめて居たので私は普通の人ならドンドン歩いて行くのに変だなあと思い乍ら私は帰って行きました。其の人は年齢五十歳位、丈の高い方で肥ったガッチリした方で無帽で眼鏡はかけて居りませんでした。それで白のワイシャツに茶ッポイ洋服でネクタイはして居りませんでした。(以上「下山白書」)

五日は埼玉の親戚に行って、帰りは松戸で乗りかえ、八時半ごろ綾瀬駅に着く電車で帰りました。伊藤谷駐在所の前を通って行きますと、小菅刑務所(東京拘置所)の裏通りをフラフラと歩いて来る人がありました。少し薄暗くなって来た時で、気味悪く思いましたので、急いで籠屋の角を曲りたいと思いましたが、その人が一足早く曲ってしまったので、少しゆっくり歩きました。その人は私の前の方をゆっくり歩きますので、私も仕方なくゆっくり歩きましたが、あまり歩き方がおそいので、私はからかわれるのではないかと不安に思いました。そして、五反野踏切の手前までまいりますと、踏み切りの向うから会社帰りらしい人がやって来ますし、そのうしろからも、男の方一人が歩いて来ますので、この時と思ってその人を追い抜き、上り電車がそこまで来ていましたが、かけ足で踏み切りを渡ってしまいました。その時下り電車が来てそこですれちがいました。ふりかえって見ると、その人は踏切のところにたっていました。そこに知り合いのMさんの娘さん(※管理人注 別の目撃者MKさんのこと)が自転車で来たので「変な男がいるよ」と教えて、もう一度ふりかえると、その人は上り電車の方をじっと見ていました。私は何であんなところに立ちどまっているのだろうと思いながら、大急ぎで帰り、帰ってから主人に話しますと「余計なことをいうな」と叱られました。その方は背の高い方で、五〇歳くらいと思いますが、はっきりいたしません。体は少し肥えてカップクのいい人でした。後ろから見た時間が長かったので、顔形はわかりませんが、帽子はかぶっていません。髪は分けていたように思いました。服は黒っぽいようでもあるし、茶色っぽいようでもあるし、はっきりいたしませんが、ワイシャツは白かったように思います。眼鏡はかけていなかったと思います。ネクタイもしめていなかったと思います。手には何も持っていませんでした。(以上『生体れき断』)

MKさん(女性、20歳) 20時56分頃五反野踏切付近で目撃図中番号14

MKさん(二〇)は七月五日午後八時三十分ごろ、使いに行く途中、下山さんが轢かれたそばの五反野踏切で、下山さんに似た人を見ている。それは上りの電車が来たので、自転車から降りて待っているとき、近所のNHさんに言葉をかけられた。そのとき踏切の向こうを変な目付きでNHさんが見るので、MKさんも見ると、肥った男の人が立っていた。その人はこのへんの土地では、見かけないようなりっぱな人であった。汽車と電車が通り終わったので、自転車に乗ろうとすると、その人は歩きだし、下山さんの轢かれたほうへ線路づたいに歩いて行ったという。なんであんなほうへ行くのかとおかしく思い、一回ふりかえって見たというのである。人相は品のよい五十年配の人で、背は高く、がっちりした体格で、上下同じ色の背広を着て、色は薄い灰色のようであった。白ワイシャツで、ネクタイ、靴、眼鏡ははっきりしていない。ひとりで何も持たず、元気なく歩いていたという。下山さんが轢かれて二日過ぎたころ、新聞を見たり人の話を聞いて、その人が下山さんの人相や写真に似ていることに気がつき、父母に話すと、警察や新聞社の人が来てうるさいから黙っていろといわれたので、そのままにしていたということであった。(以上『真実を追う』。「下山白書」にはMKさんについて独立した項がないので関口由三氏の著書から引用しました。)

父が出先から帰ってから、知り合いの家に粉をひきに出かけたのですから、八時半をすぎていたと思います。五反野踏切の前で、上り電車がくるのが見えましたので、自転車から降りていますと、向うからNHさんが走って渡って来ました。中山さんが「変な人がいるよ」といわれましたので、その人を見ましたが、このありではあまり見かけない立派な人のように思いました。私がそこから自転車に乗って出かける時、その人は踏切から東武電車のガードの方に線路づたいにブラブラ歩いて行くところでした。年は五〇歳くらいと思いました。背の高さは五尺五〜六寸くらいではなかったかと思います。肥えた方のようでした。灰色のような服を着ていたように思います。眼鏡はかけていませんでした。髪は伸ばしていたと思いますが、はっきりはいたしません。ワイシャツの襟が上衣の上に出ているような感じが残っていますが、これもはっきりとは申し上げられません。靴もよくわかりません。何だか元気がないようで、フラフラしているようでした。証拠といってありませんが、私は新聞を見てから、その人が下山さんだったにちがいないと思っていました。(以上『生体れき断』)

NH、MKさん目撃現場
NH、MKさん目撃現場。平正一氏著『生体れき断』p104より。

NYさん(男性、43歳) 22時10分頃常磐線荒川土手警標付近で目撃図中番号15

私は七月五日常磐線下り二六三貨物列車の助手として機関士HTと田端駅二十時八分に発車各要所駅を回送し二十二時九分頃に荒川土手の踏切の約三十米位手前に差しかかった時、踏切の警標の陰に人が立っている様に見えたので列車妨害でもするのではないかと注意して列車の通過迄其の男を見て居りました。其の男の人相は丈五尺六寸位、年齢四十五、六歳で体格は良く、肥えた方で腹の部が少し出て居る様に見えました。頭髪は分けてあるようになっていたが乱れて居た様に思います。着衣白ッポイ洋服が前の釦を全部外しており白ワイシャツ、携帯品はなく立派な男の様に記憶して居ります。以上の事があったので或いは下山さんではないかと思ったので十三日馬坂巡査派出所に御届けした次第で有ります。(以上「下山白書」)

私が乗っていた二六三貨物列車は、午後十時九分に荒川鉄橋を渡りますが、荒川土手の三〇メートルばかり手前で、土手の踏切の警標のかげに人が立っているのを認めました。列車妨害をするのではないかと注意して、そこを通過するまでその人から目を離しませんでした。その人は五尺六寸くらい。年齢は四五〜六歳くらい。体格は良く、腹のところが少し出ているように見えました。洋服の色はライトのせいか少し白っぽいように感じましたがよくわかりません。上衣のボタンをはずしていたので、ワイシャツが真っ白く見えました。携帯品はなく、髪は乱れているように見えました。立派な方のように感じました。新聞を見てから総裁のように思えてならないので、お届けいたしました。(以上『生体れき断』)

SYさん(女性、43歳) 23時00分頃東武線トンネル付近で目撃図中番号16

私は七月五日午後十時頃に四女玉枝を連れて昭和湯に入浴に行った。そして午後十一時頃に帰る途中雨がボツボツ降って来たので少し急いでトンネルの処迄来て東武線の土手の上を見ると確に洋服を着た男が一人で立って居るのを見かけました。変に思って又見直すと矢張り人なので急いでトンネルを潜ってから振りかえって見ると、其の時は男らしい人は見えませんでした。其の翌日鉄道で人が死んだと聞いてそれでは私が見た人ではないかと思いました。人相着衣は夜のことで而かも遠い所から見たので解りませんでした。(以上「下山白書」)

四女T(11)をつれて昭和湯に行き、十一時ごろお風呂屋を出ると、雨が小降りに降っているので大急ぎで帰りました。途中東武線のトンネルのところまで来て、ふと上の方を見ると、東武線の上に、洋服を着た男が立っている姿が見えました。いまごろ何をしているのだろうと思って、も一度見上げましたが、その人はやはり同じところに動かないで立っていました、うす気味悪くなったので、大急ぎでトンネルをくぐり抜け、も一度ふりかえって見ましたが、そこからは何も見えませんでした。服装は洋服のようだったというだけしかわかりません。それでもあんな夜おそく、雨の降っているところに立っていたので、翌日れき死があったと聞いたとき、あの人にちがいあるまいと思いました。(以上『生体れき断』)

SYさん目撃現場
SYさん目撃現場。平正一氏著『生体れき断』p110より。

KTさん(男性、32歳) 23時30分頃街灯の下で目撃図中番号17

私は七月五日知り合いTラジオ店に自転車で遊びに行き午後十一時二十分頃にTさん宅を自転車で出かけて午後十一時三十分近くに五反野南町○○○○番地HI方前の道に差しかかった時、東武線ガード下の方向約四百米くらい離れた処を一人の男が下向になって歩いて来るので夜遅くこんな処を何用が有って歩いているのかと不思議にしました(原文ママ)。それで私の家も其の附近なので自転車から降りて其の人を見ると其の男も私の方を見て居りました。其の人の人相は、年齢四十歳前後、丈五尺五寸以上、面長で肥った顔に眼鏡をかけて居た。優しい顔で髪は七・三に分けて居た。体格はよく十七、八貫位あり重役タイプの男で鼠色の洋服上下白ワイシャツで所持品はなかった様である。(以上「下山白書」)

五日の夕方七時ごろから知り合いのTラジオ店に部品を買いに行き、十一時すぎまでそこで遊んでいました。駐留軍向けの放送がアメリカの国歌の放送を始めたので、十一時二十分になったことがわかりましたから、急いで自転車で帰りました。家の近くまで来ると、HIさん方の前を、トンネルの方からうつむきながら、トボトボと歩いてきた男が、町角の街灯のところで立ちどまったので、こんな夜中に何をしているのだろうと不審に思いました。家もすぐ近くですから自転車から降りてよく見ますと、その人も私の方を見ていました。家に帰って自転車をしまってから、また外に出ますと、その人は雨にぬれながら西の方に歩いて行くところでした。その人は四七〜八歳、(捜査報告書のプリントには四〇歳前後と記してあるが、記録には四七〜八歳)背は五尺六寸くらいではなかったでしょうか。帽子はなく、髪は七三に分け、顔は面長のように思いましたが、街灯の真下のことでよくわかりません。十七〜八貫はありそうな肥った体格の人で、ワイシャツは真っ白でした。ネクタイをつけていたかどうかは覚えがありません。眼鏡はかけていたような気がいたします。靴には全く気がつきませんでした。それでも刑事さんが見せて下さった大ぜいの人が写っている写真で、この人が私の見た人のようだといったら、やはりそれが下山さんだったそうで、私のカンに狂いはなかったと思っております。(以上『生体れき断』)

7月5日の足取り
KTさん目撃現場。平正一氏著『生体れき断』p110より。

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