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三越から浅草駅間の目撃者証言

日本橋三越から浅草駅までの7月5日の下山氏らしき紳士の行動を、警視庁作成の報告書と新聞社が取材によって得た情報を突き合わせるという意味で、『資料・下山事件』(みすず書房)所収の「下山白書」と平正一氏著『生体れき断』(毎日学生出版社)に記されている目撃者の証言を引用しながら辿ってみたいと思います。

下山氏らしき紳士は、9時35分頃から10時15分頃まで、少なくとも3人の三越店員に目撃されています。10時15分頃目撃したTKさんの証言については、紳士の後ろを歩いて地下に入っていった2、3人の男たちを、TKさん自身が紳士の連れだと認識したのかそうでないのかについて、自殺説と他殺説の文献では違いがみられます。10時20〜30分頃には三越の東北角の歩道でライター修理のアルバイトをしている学生UMさんが紳士のライターに油を入れていますが、この証言に関しては、目撃時間や紳士がどこから歩いてきてどこに向かったのかという点について曖昧な印象があり、三越内で目撃された紳士に比べると下山氏本人である可能性はやや低いように思われます。

地下鉄銀座線浅草行き電車に乗っていたNTさんは、電車が末広町を発車するときに紳士に足を強く踏まれています。NTさんは11時23分渋谷発の電車に乗ったということですから、足を踏んできた紳士に立腹し睨みつけたのは12時少し前頃ではないかと考えられます(昭和24年当時の渋谷駅〜末広町駅間の正確な所要時間を、現在のところ管理人は知りません)。浅草駅の靴磨きOHさんは昼頃紳士を目撃していますが、その人物がNTさんが目撃した紳士と同一人物だったとしても、浅草に着く前にどこかに短時間立ち寄っている可能性もあるため、目撃時間は12〜13時頃と幅を持たせて考えるのが無難でしょう。

三越内外の目撃証言
昭和24年7月13日付毎日新聞の図を改変。点線と矢印で示されているのが下山氏と思われる紳士の行動。AKさんの位置は図にはありません。

三越外観
事件から10年後の日本橋三越。アカハタ昭和34年7月4日付より。

NSさん(女性、19歳) 化粧品売り場で9時35分頃目撃

私は一階北口寄の化粧品売り場に勤めて居ります。七月五日も午前九時三十分から開店してまだ御客が少い前九時三十五分頃に年齢五十歳位で普通の者より一寸高い程度、頭髪は分けて居た様に思われる。薄鼠色シングル背広上下を着た男で手ブラで売場の前を行ったり来たりして居り、別に品物を買う気配も見えませんで其の男はいつか私の売場から見えなくなりましたが私は其頃其の男に対して別に気に止めて居りませんでしたが、五日午後十時にニュースや翌日の新聞で下山総裁が三越で行方不明になったとの報道で、或いは五日の朝私のケースの前をブラブラして居た方が人格人相から下山さんではないかと思った次第で申し上げました。(以上「下山白書」)

開店の直後ですから、九時半から九時三十五分ごろではなかったかと思います。お客さまもまだまばらの時のことですからよく覚えておりますが、五〇歳くらいで、背の高い方が陳列ケースの前を行ったり来たりしていました。別に買物をなさる様子もないので、あまり気にもいたしませんでしたが、髪を分けて、うすネズミ色のシングルのお洋服を召していらっしゃいました。手には何もお持ちではありませんでした。ちょっと目をはずしている間に、その方の姿は見られなくなりましたが、夜のラジオニュースで、下山さんが三越に入ってから行方不明になられたことを聞きまして「もしや、けさお見かけした方が下山さんではあるかいか」と思いました。その翌朝、新聞の写真を見てからは、「やっぱりあの方だった」とはっきり思うようになりました。(以上『生体れき断』)

AKさん(女性、21歳) 履物売り場で10時少し前頃目撃

私の売場は一階の履物の御店に勤めて居り、七月五日の前九時半から開店してそれで十時一寸前頃に私の売場より前方二間位離れて居る草履のケース前に一人の男が品物を御覧になっていた。其の人の人相を申上ますと、年齢五十歳位で中肉、顔色は白い方で髪は分けて服装は小豆色の洋服上下で非常に品の良い静かな落着いた人柄のよい重役タイプの方でしたが其の男はいつの間にか消えるように姿は見えなくなりました。而し其の男が下山さんかどうか解りませんが三越で行方不明になったとしたら御参考に申上た次第で有ります。(以上「下山白書」)

十時ちょっと前と思います。私のところから二間ばかり離れた陳列ケースの前で中の草履をごらんになっている紳士の方をお見かけしました。その方は五〇歳くらいのお方で、中肉、色は白い方のように思いました。髪をお分けになって、お上品なお人柄のようにお見受けしました。どこかの会社の重役さんだろうと思いました。お洋服ははっきり覚えておりませんが、小豆色ではなかったでしょうか。その方が下山さんであるかどうかはわかりませんが、新聞を見まして、その方のような感じがいたしますので、何かのご参考になればと考えまして、申し上げたわけでございます。(以上『生体れき断』)

履物の売り場の目撃証言
三越一階のAKさんの履物売り場付近。佐藤一氏著『下山事件全研究』p98より。

TKさん(女性、35歳) 案内所で10時15分頃目撃

私の職場は三越の地下室入口の案内所で五日前十時十五分頃にボックスに腰をかけて居たとき年齢五十歳前後の丈五尺六寸位、十七、八貫もある体格で肥った顔色は普通で奇麗で顔は広く髪の手入れは良く、眼鏡をかけ品があってどこかの社長タイプで白のワイシャツに鼠色洋服上下無帽で所持品は持って居なかった。其の男の後を二、三人の男が同時に階段を下りて行きましたが其の男等が連れかどうかは判然しません。又下山さんかどうかも解りませんでしたが、五日のニュースで下山総裁が三越で行方不明になったと聴いて或いは私が見た人が下山さんではないかと直感したので申上げました。私は案内役を長年している関係上、人相や服装の見分けを一回見れば忘れない記憶だけは他の人に負けない自身が有ります。(以上「下山白書」)

十時十五分ごろ、五〇歳くらいで、身長は五尺六寸くらい、十七〜八貫もありそうな、肥ってお上品な紳士の方が、私の前を通って地下道の方に階段を降りて行かれました。髪はきれいに七三に分け、お顔もきれいな方でした。眼鏡をかけた立派な方で、どこかの社長さんにちがいあるまいと思いました。白ワイシャツに、ネズミ色の背広を着ておられましたが、手には何もお持ちではありませんでした。その方のうしろから一足おくれて二〜三人の男の方が、やはり地下道の方に降りて行かれましたが、この方たちがお連れさまであったかどうか、私にはわかりません。夜ラジオの放送で、下山さんが行方不明になられたことを知りましたが、私はあの方を下山総裁にちがいあるまいと思っております。私は長年案内係をしておりまして、服装や人相の見わけや、その記憶では人さまに負けないだけの自信を持っているつもりでございます。(以上『生体れき断』)

地下道入口前の目撃証言
三越一階のTKさんの案内所付近。平正一氏著『生体れき断』p114より。

UMさん(男性、18歳) 三越東北角の歩道で10時30分頃目撃

私は本年六月二十日より日本橋三越附近の歩道上でアルバイトとしてライター石並に修理油を入れる商売をして居り、七月五日も午前九時三十分頃から三越の右端の歩道で商品を並べて商売を始めました。すると前十時二、三十分頃に三越の正面より出て来たと思われる左記人相の男が私の売場の斜左四、五歩の処で立ち止って上衣のボタンを外して白ワイシャツで両手をズボンのポケットに入れて四、五分ボンヤリ立って何か考えていた。其の男が私の売場に来て油を入れてくれと差出した其のライターは進駐軍の持って居るNT‐ppoかシルバーかどちらかと思います。油を入れてから発火点を掃除してやり代金二円を呉れて何処かに立去った。其の人の人相は年齢四十七、八歳位、丈五尺七、八寸位、上品な人で眼鏡の縁が太い様に記憶して居ります。着衣は背広上下白ワイシャツ其他は記憶が有りません。総裁ではないかと思って警察に届け様と父母に相談した次第であります。(以上「下山白書」)

私は学生ですが、アルバイトにライターの修理をやっております。店は三越本店の東北角の道路に出します。五日の朝は九時半ごろから店を開いておりましたが、十時ごろ一人の紳士が私の売場から五〜六歩はなれた三越の角に立ち止まって、両手をズボンのポケットに入れて、何か考えているようでした。やがてその人は私の前に来て、ジッポーのライターを出して「油を入れてくれ」といわれました。油を入れて掃除をして渡しますと、その方は二円おいて立ち去られました。四七〜八歳くらいで、背は五尺七〜八寸くらい、上品な人で、縁の大きな眼鏡をかけていました。白ワイシャツだったことは覚えていますが、服の色は記憶しておりません。その方は三越の正面入口から出てこられたような気がしますが、どちらに行かれたか、それは記憶にありません。その晩のラジオを聞いてから下山さんのように思えてなりませんので、両親にもその話をしたところ、「早く警察に届けなければいかん」と申しますのでお届けしました。(以上『生体れき断』)

NTさん(男性、43歳) 地下鉄銀座線浅草行き電車内で12時頃目撃

七月五日は午前十一時二十三分渋谷発地下鉄に乗って浅草行で上野に向った。それで電車は連結の一番先の車に乗って空いて居たので座席に腰をかけた。それで日本橋から末広町の間で乗った年齢五十歳位の丈五尺六、七寸で、髪七・三に分け白ワイシャツに鼠色の上下洋服、チョコレート短靴で何にも持って居ない人が乗り込み私の足を踏んだが其の男は何か考えて居たらしく私に詫び様ともしないので変なやつだと思って足から顔まで見上げたので人相服装に至る迄記憶して居た。それで其の男は浅草の方に乗続けて行ったが、果して下山総裁かどうかは判然して居りませんがよく似て居た。(以上「下山白書」)

私は上野で飲食店をやっているので、毎日地下鉄で通います。五日は午前十一時二十三分渋谷発の、一番前の箱に乗りました。電車が末広町を発車したとき、前に立っていた背の高い男がよろめいて、いやというほど強く私の足を踏みました。そしてあいさつもしないので、変なやつだと思ってにらみつけましたが、その男は憂うつそうな顔をして、何か考えごとをしているようでした。しゃくにさわったのでよく見ましたから覚えていますが、年は五〇歳くらい。髪は七三に分けて、眼鏡をかけていた。五尺六〜七寸。十八〜十九貫もありそうでした。靴はチョコレート色で、先の方にひだがあったように思います。帽子はかぶらず、荷物は持っていなかった。この男がどこから乗りこんだのか覚えがないが、日本橋から末広町の間であることは間違いありません。私が上野で降りたので、すぐ前の席があいたわけですが、その男はかけようとはせず、吊革にぶら下がったまま、浅草の方に乗って行きました。けさ、読売新聞を見ると、その男にそっくりの写真がのっているのでびっくりしましたが、それが下山総裁と書いてあるので、驚いて届けたわけです。(以上『生体れき断』)

電車内の目撃証言
NTさんによる電車内での目撃証言。平正一氏著『生体れき断』p116より。

OHさん(男性、56歳) 浅草駅で12〜13時頃目撃

私は浅草地下鉄の西口で朝八時頃から午後六時迄靴磨をして居り、七月五日頃時間は解りませんが昼頃一番ホームの方から背の高い肥って居る体格の良い、白ワイシャツに鼠色の洋服を着た立派な人が上って来たので靴でも磨かせてくれるかと思って其の人をよく見て居りましたので右の人相着衣の記憶が有ります。それで其の人は連れの人も居らないし、又所持品も持っておられなかった。而し其の人が下山さんかどうか断定出きない。(以上「下山白書」)

五日は朝の八時ごろから客をまっていました。時間ははっきりしませんが、ちょうど昼ごろ、一番ホームの方から背の高い、肥えた立派な紳士がやって来るのが見えました。この人は靴を磨かせてくれるだろうと思ってずっと見ていましたが、そのまま通りすぎてしまいました。白いワイシャツに、ネズミ色の洋服でしたが、靴はアメ色の濃いようなものだったと思います。眼鏡の縁に重なったような下り眉の人で、五〇歳くらいの人でした。(以上『生体れき断』)

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