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7月5日の下山氏の足取り

まずは大雑把に失踪当日の下山氏の足取りを追ってみましょう。昭和24年7月5日、下山氏はいつもどおり朝8時15分に大西政雄氏の運転するビュイック41年型で自宅を出ています(下山邸から日本橋三越に至るまでの詳細な考察については下山事件資料館さんをご覧ください)。当日は朝9時から局長会議があり、またその後も午前中に司令部まで人員整理の報告に行く予定が入っていました(『真実を追う』p19)。几帳面な性格だったとされる下山氏ですが、総裁という地位にありながらこの日は国鉄本庁に一本の連絡も入れることなく朝の会議をすっぽかし、日本橋三越に着いた時点で既に午前9時半を回ってしまっていました。

大西運転手に「五分くらいだから待っていてくれ」と言い残して三越の中に入っていった下山氏は、午前9時35分頃から10時30分頃の約1時間にわたって店の内外で少なくとも4人の人物に目撃されています。この約1時間における下山氏の行動については自殺説と他殺説で解釈の違いがあるものの、目撃された紳士が下山氏本人であろうという点に関しては見解は一致しています。その後地下鉄に乗ったと思われる下山氏は、昼頃に銀座線電車内で1人、浅草駅構内で1人、計2人に目撃されています。(靴底にアスファルト様物質が付着していたことから、電車内で目撃される前には、下山氏は改札口の舗装工事が終わったばかりの神田駅に立ち寄っていた可能性が高いという推測があります。『生体れき断』p117-118)

下山氏が無惨な死体となって鉄路の上で発見されることになる五反野では、実に計17人もの目撃者が確認されました。その最初の目撃者は五反野駅の改札係で、13時45分頃のことでした。それから轢断列車が東武線ガード下を通過する約1時間前の23時30分頃まで、「下山氏に似た紳士」は断続的に目撃されることになります。この五反野を長時間にわたって徘徊した紳士が、果たして下山氏本人なのかそれとも替え玉なのかという論争は、下山事件発生直後から現在に至るまで続いています。

7月5日の足取り
目撃証言から推定される7月5日の下山氏の足取り。特に浅草駅での目撃時間については、かなり幅をもたせてあります。(『下山事件の真相(上)』(宮川弘著、東洋書房)所収の図を複数個所修正したもの)

下山総裁の机と椅子
下山氏がこの机に戻ることはありませんでした。昭和24年7月20日付毎日新聞より。

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