トップ > 下山事件関連本 > Prev > 『キャノン機関からの証言』 > Next

『キャノン機関からの証言』

『キャノン機関からの証言』、延禎(著)、昭和48年(1973年)、番町書房

『葬られた夏 追跡下山事件』で朝日新聞の諸永裕司氏が、アメリカに渡ってインタビューした元キャノン機関所属の情報官延禎氏の著作です。言うまでもなく延禎氏はキャノンと“身内”であり、そのことを念頭に置いて読まなければならないとは思いますが、とりあえず以下に下山事件関連部分の内容をご紹介します。巻頭の「この本に寄せて」という4ページにわたる比較的長い推薦文は、キャノンが書いています。

この文献は下山事件に割り当てられた紙面はそれほど多くありませんし(326ページ中13ページ)、書いてあることは基本的に諸永氏の著書で述べているように「著者自身もキャノンも下山事件のことはよく知らないし、少なくともキャノン機関(Z機関)は関与していないだろう」、ということです。松川事件や下山事件について延氏に根掘り葉掘り質問され、うんざり答えるキャノンの様子などが書かれています。(「なんだか、鉄道のことでみんながギャアギャアいってるらしいが、鉄道とオレとがどうしたっていうんだ」「そんなこと……みんなと同じようにオレも何も知らないんだよ」「なぜ、なんでもかんでも、Z機関に結びつけようとするんだ」「知らないものは知らないんだよ」)

ですが、『葬られた夏』には書かれていない事柄にもいくつか触れています。例えばアメリカ帰国後のキャノンについてなどです。キャノンは帰国後拘留され、鹿地事件はもちろんのこと、下山事件や松川事件にもキャノン機関が関与していたのかどうか取調べを56日間に渡って受けたそうです。鹿地事件で日本とアメリカは国際的なやりとりにまで発展していたことから、本国でのキャノンに対する追求はかなり厳しかったようです(注)。しかしこの徹底的な取調べも結局はキャノンの身の潔白を証明することになり、釈放後彼は軍関係の職に就いています。アメリカ本国でのしつこく容赦のない調査を経てもなお下山・松川事件への関与の可能性が見出されなかったことから、延氏は「オレは何も知らなかった」というキャノンの言葉は真実であろうと述べています。そして、下山事件がもし他殺であるなら、当然数人から多人数による共同犯行になるはずだが、現在までどこからも確実な証人が現れないところを見ると、情報官である著者の感覚からすれば自殺の可能性が高いと述べています。

上記の事柄以外に下山事件関連について書かれている部分を簡単にまとめると、

『葬られた夏』で問題となっていた延禎氏の来日時期ですが(五月か六月に日本で下山氏に会ったという証言を撤回して、事件後の九月に来日したと諸永氏の著作では話しています。文庫版p111)、この本では「残念ながら私が“Z機関”ことキャノン機関の幹部として入ったのは、これらの事件(※下山・松川両事件のこと)が起こった四、五ヵ月後のこと、一九四九年末である」と書かれています(p311)。来日と同時にキャノン機関に所属したのかはこの本からは分かりません(『葬られた夏』によると同時のようですが。文庫版p100)。

下山事件とは直接関係はありませんが、諸永氏もインタビューしているビクター松井氏について面白いことが書かれていました。松本政喜という人の著書(おそらく『そこにCIAがいる』という本のことだと思われます。管理人は読んだことはありません。)によると、ビクター松井がキャノンへのうっぷんから、帝銀事件も松川事件もキャノンの仕業だという極秘情報を松本氏に語ったのだそうです。延氏は松本氏の著作の信憑性には否定的です。

キャノンと延禎
本書所収のキャノンと著者の写真。とても仲が良さそうです。

(注)柴田哲孝氏は、この本で書かれていることとは正反対に、“つまり、前述の鹿地事件などの拉致監禁事件は、キャノンの「権限内の正当な作戦」だったということになる。実際には後に起訴されたのは被害者の鹿地亘のほうで、(スパイ容疑・電波法違反。後に無罪)、本国に帰ったキャノンに対してはまったく容疑は追及されていない。”と述べています(『下山事件 最後の証言(増補完全版)』p308)。

トップ > 下山事件関連本 > Prev > 『キャノン機関からの証言』 > Next