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『日本の国鉄』

『日本の国鉄』、原田勝正(著)、昭和59年(1984年)、岩波新書

日本の国鉄誕生から、本書が出版された1984年頃までの歴史をコンパクトにまとめたものです。もちろんGHQによる占領下時代の国鉄についても論じており、柴田哲孝氏の『下山事件 最後の証言』にもあったように、「一九四五年九月、三菱経済研究所その他民間から民間払下げ論が提起されたが、政府はこれに応じなかった」と、国鉄の民間払い下げ問題も簡単に触れています(p143-144)。下山事件に関しては以下に引用したような短い記述があります(p151-152)。「下山事件と張作霖爆殺事件の現場が似ている」と初めて主張したのは柴田哲孝氏だと思っていたのですが、どうやら原田勝正氏が最初のようです。れっきとした鉄道の専門家がこのような主張をしていたという事実は、当サイト管理人としては意外でした。

そのようなときに、七月六日、下山総裁が常磐線北千住・綾瀬間の線路上で死体となって発見された。自殺か他殺か、議論は現在でもおこなわれているが、遺体の切片をつけていた田端発尻内行貨物第八六九列車(機関車D五一六五一、水戸機関区)は、六日〇時二〇分北千住駅を通過、そのあと、〇時一〇分上野発松戸行第二四〇一M電車の運転士が死体を発見、綾瀬駅に届け出たものである。

松本清張「下山総裁謀殺論」が、軍臨第一二〇一列車にふれていることは注目される。この列車は当時上野発二三時〇四分だが、遺体を投下することはできない(もし定時にここを通過していれば、第八六九列車以前に他の列車がここを通過する)。しかし、ここでいったん停車させて、積んできた遺体を下ろし、第八六九列車に轢断させることはできる。しかも、現場は東武鉄道の線路が常磐線を乗り越し、常磐線の線路はカーブしていて乗務員からの見とおしはわるい。張作霖爆殺事件と同じ現場状況である(拙著『満鉄』岩波新書参照)。

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