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ロープ小屋は犯人らに使われたのか?

下山氏の死体が一時的に置かれた、または下山氏の死体を轢断現場に置いた後で犯人たちが休憩した、と考えられているロープ小屋ですが、そこで見つかった血痕は真新しいものだったのでしょうか。また、犯人グループが使用したとしたなら5日夜に周辺住民は異変に気づかなかったのでしょうか。

この小屋は、昭和10年3月に建てられ、20年8月まで所有者によってマニラロープ製造に使用されていました。その後空き小屋となっていましたが、昭和21年2月から昭和23年5月まで当時足立区伊藤谷町在住のKZさんという人物が借り受け釣糸の製造に使用、そのあいだの昭和22年5月にKZさんが燃料の薪割り中、斧で左拇指に骨に達する大怪我をしています。警察はこのときの出血が原因でドアに血が付いたのだろうとしています(『資料・下山事件』p373)。

この小屋は血痕が見つかる前の7月6日朝にも既に西新井署員によって捜査されていましたが、そのときには血痕や犯罪に利用されたと思われる痕跡はありませんでした。翌7日には捜査本部の刑事らがより詳細な検索をおこないましたが、地面の状態、ほこりの積もり具合、周辺の雑草(小屋の周囲は草が沢山はえていました)の形状などからは、人体を運び込んだような痕跡はなく、室内の血痕も肉眼では発見できませんでした。もし血痕が下山氏のものなら、新しく鮮やかな色をしていたはずなのにもかかわらずです。気づかなかったのは警察関係者だけでなく、報道陣も同様でした。周囲の常磐線下は水田と畑ですが、水田は通れませんし畑には足跡もなかったそうです(道路に沿って迂回すれば人家があるので、運搬路としては畑の中を通るくらいしか選択肢がありません。『生体れき断』p136)。また、この小屋のすぐ裏手の家の住人は、7月5日は夜10時頃まで仕事をし常磐線の土手に沿って帰宅しましたが、何も変わった様子はなく、その日は夜12時頃まで起きていたそうですがロープ小屋では物音ひとつなかったと述べています(『真実を追う』『下山事件全研究』)。

なお、後になって調べられたKZさんの血液型は、鑑識課の記録に誤字があり判然としませんが結果はAMqもしくはANqでした(古畑氏は『今だから話そう』ではANq(p237)、『資料・下山事件』ではAMq(p214)と述べ、矢田喜美雄氏は『謀殺 下山事件』でANQと述べており(p184)、情報が混乱しています)。このKZさんの血液型は、誤字のために血液型が判然としないとはいえ、本人から採血して検査されたものですのでAとqという検査結果は信頼できると思われます。鑑定結果の妥当性についてで紹介したように、血痕の血液型鑑定がABO式以外はあまり信頼に価しないということになれば、ロープ小屋の血痕はA型のKZ氏のものである可能性も十分考えられ、またそれを下山氏のものだとする根拠も薄れます。周辺住民から「あいびき小舎」と呼ばれるこのロープ小屋(昭和24年7月30日付、毎日新聞)を、犯行グループはなぜ死体置き場として使ったのだろうかという疑問と併せて考えれば尚更でしょう。

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